- フォトグラフ
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日も沈み、夜の街が活気付く頃、銀時は馴染みの飲み屋の暖簾をくぐった。
ここ数日は順調に仕事が入り、珍しく懐が温かい。となれば、心にも余裕ができ、さして強くもない酒だって愉しみたくもなるものだ。
ちびちびと気分よく呑んでいると、然程時間も経たない内に、見知った顔がやってきた。
「おお、万事屋じゃねーか!」
大声で声を掛けてきたのは、銀時にとっては腐れ縁的な関係にある、真選組の局長近藤だった。見慣れた黒づくめの隊服姿を見るに、仕事上がりらしい。ならばと背後に続いてくる姿はないかと伺うが、連れはいないようだった。
なーんだ…。
頭をよぎったのは、近藤と同じ組織に属する、ミルクティ色の髪をした少年。ムカつくくらいに近藤を慕っている彼ならば、近藤にくっついてこのような場に来てもおかしくはないと思ったのだ。
期待した姿がないのに落胆するが、よくよく考えてみれば、昨日街中で偶然遭った時に、『今日も明日も遅番なんでさァ』とぼやいていたのだから、今は絶賛仕事中のはずだ。真面目にこなしているかは別として。
今夜だって本当は、せっかくだから久しぶりに一緒に酒でもどうかな、いつもおごってもらってばっかだから、たまには年上としてカレシとしてちょっとはいいとこ見せてーよな、そんでもってその後はいい感じの雰囲気でアンナことコンナことを……と沖田を誘おうと思っていたのだが、昨日のぼやきを思い出してその計画は一瞬にして崩れ去ったのだった。
そんなことがあったのに、再び無意識に期待してしまった自分に苦笑する。
どんだけ俺はあの子に会いたいんだよ。
自分に呆れて溜息を吐いている銀時のことなどつゆ知らず、近藤は別の場所でも呑んでいたらしく、もう既にかなり出来上がっている様子で、こちらの返事も気がずに隣の席に掛けてきた。
隣席を拒否するいわれもないので、特に文句はつけずに、しかしなんとなく釈然としないので、八つ当たり気味に悪態をつく。
「二件目ですかー。羽振りがいいねぇ公務員はよ」
「んー、羽振りは特別よかねぇがな、今日はいいことあってよ!聞いてくれよ、実はな!」
そういって近藤が語り始めたのは、スナックすまいすでのお妙との一部始終。どうやら一件目はすまいるだったらしい。
聞かされている銀時にしてみれば、それのどこが『いいこと』なのかさっぱり不明だが、近藤にとってはかなりの待遇を受けたらしく、相当上機嫌だ。
「おめーは相変わらず冴えない面してるなぁ。目が死んでるぞー。お前にもこの幸せを分けてやりてーくらいだよ」
「ゴリラに冴えない面とか言われたくねーよ。こちとら人間なだけマシだろゴリラより。目が死んでたっていいんだよ、人間なんなだけマシだろゴリラより」
「そっかそっか、ゴリラが羨ましいか〜。そうだよな、このゴリラ近藤、お妙さんに愛されるために産まれてきました!ありがとう!!」
「おいおい、ゴリラ近藤ってリングネームみたいになってっけど。つか一言も羨ましいとか言ってないからね。お妙うんぬんはどーでもいいけど、銀さん人間でよかったって思ってるから。近藤ゴリラさん」
「嬉しいぞっ!そんなにオレとお妙さんの幸せを祝福してくれるか!万事屋、お前いい奴だったんだな!!今まで色々と迷惑かけて悪かったな」
「ほんとだよ、迷惑料もらいたいくらいだよー。ついでにあの子も連れてこいよー」
「こんなにいい奴なのに仕事も金も女も運もないなんて、なんて可哀相なやつなんだ!え、あの子って?」
「うるせーよ。簀巻きにして志村家に放り込むぞクソゴリラ。仕事運も金運も女運もなくたって恋愛運は100パあるからいいんだよほっとけコノヤロー」
「えっ、お妙さんとこで同居しろって!?いやー、新八くんの上司の君からそんなことを勧められるとは、照れるなぁ。でも、そういうことはちゃんとプロポーズしてからって決めてますから!近藤ゴリラ勲、順序は守ります!!悪いな万事屋、先に行かせてもらうぞ。待っててくださいねお妙さん〜〜〜!!」
「あーうるせーな、もう勝手に婿にでもなんでもなってくれていいから、同情するなら酒奢れよコノヤロー。ついでにあの子も連れてこいよコンシクショー」
「おう、酒でも何でも奢ってやらぁ!で、あの子って?」
現在120パーセント自分に都合のいいようにしか解釈しない近藤は、何を言っても上機嫌で、しまいには勝手に祝福されたと思い込んで感極まって泣きはじめた。その咆哮は煩いことこの上ないが、成り行き上酒を奢ってもらえることになったので、多少の騒音は我慢することにする。多少?多少なのかこれ。
ひとしきり泣いた後は、今度はがはははと何が可笑しいのか笑い続ける近藤に何度か『あの子』のことを聞かれたが、適当に誤魔化した。殊更秘そうとしているわけではないが、バレた時の面倒を思うと、今ここで敢えて知らせる必要はないと判断したまでだ。
しばらくして近藤が用足しに立ち上がった時に、何かが床に落ちた。
何気なく目をやれば、それは黒い手帳で、どうやら近藤のもののようだ。動いた拍子にポケットから落ちたのだろう。
「おーい、落ちたぞー。大事なもんだろコレ、お前ケーサツが警察手帳落としちまったらただのゴリラだろうーが。今ゴリラ刑事でもなんでもねーぞ、ただのゴリ…」
ラ、までは言えなかった。
拾った際に手帳が開いて、そこにはさまれた写真に釘付けになってしまったために。
「おおっ、すまんな」
慌てて引き返してきた近藤は、一心に手帳を見つめる銀時に首をかしげるが、その目線の先の写真に気付いて納得したように何度か頷いた。
「かっわいいだろ?」
近藤の声に、一度顔を上げた銀時は、またすぐに目線を写真に戻した。
「これ…」
「この間部屋の整理してたら出てきてな、懐かしくて、つい持ち歩いちまってんだよ」
銀時の手のひらの上。その写真には、世にも珍しいものが写っていた。
今より若く髷を結った近藤と、その隣に、満面の笑顔の幼い男の子。ミルクティ色のさらさらの髪と大きな瞳、柔らかそうな頬、愛らしい容姿。
彼の幼い頃の姿を知らない銀時にだってすぐにわかる。沖田だった。
幼い沖田が、はち切れんばかりの笑顔で写っていた。
「わかるか?これ、俺と総悟。武州にいた頃、トシにも出会う前だったかな。道場でなんの祝い事だったか忘れちまったけど、そん時の写真だよ」
「ふーん…」
気のないフリをしているが、内心かなりの衝撃を受けていた。
こんな笑顔の沖田は、銀時は一度も見たことがなかった。
「可愛いだろ〜!この子は昔からあんまり笑わない子でな、特にカメラ向けると途端にムスッとしちまって。今でもそうだが、でもあの頃は今よりは笑ってくれてたんだよなぁ。これも、よっぽど機嫌がよかったんだろうな。それにミツバ殿が撮ってくれたからかな。いい笑顔だろ?俺のお気に入りだ」
近藤は昔を懐かしむように語る。よっぽど大切なのだろう。父が子を想うような、そんな慈しむような顔をしている。
だが、微笑ましい光景も、今の銀時には心穏やかに受け入れることはできなかった。
とろけるような顔しやがって。親バカですかってんだ。つか、何、それドヤ顔?自慢してんの?言っとくけど、こちだってテメーが知らないような沖田くんのあんな顔こんな顔知ってますけど何か?どこまでいってもファミリーどまりのテメーと違ってこちとら恋人なんだよ、カレシカレシの事情どころか情事ってのがあんだよコノヤロー。
心の中で悪態をつくが、それでもどうしても目の前の写真から目が放せなかった。
近藤の言うとおり、写真の中の沖田は、本当に心の底からのいい笑顔をしていたから。
「総悟は笑うとほんと可愛くってな!いや、普段から可愛いんだがな、でも笑うとほんと可愛いんだよ!今でもさ、おっきくなっちまったけど、笑うと昔と変わらず可愛いままでな。トシが来てからは大分ひねくれちまったけど、でもほんとは素直ないい子なんだよ、総悟は」
「可愛い可愛いうるせーんだよ、そんなことわかりきってんだよ。あの子は可愛いに決まってんだろ。沖田くんなんだから」
「だろだろ?可愛いよな!ん、あの子?」
養い子自慢が止まらない近藤の話を聞きながら、銀時はどこか釈然としない思いが燻っているのを感じていた。胸の底から押し寄せてくるのが嫉妬という感情であることにはなんとなく気付いていた。
だってだ。自分は沖田と、所謂恋仲というやつになっている。何度も言うが、近藤の知らない沖田の顔も知っている。
しかし、沖田のこんな笑顔には一度としてお目にかかったことはなかった。
もともと感情が面に出にくく、整った容姿もあって人形のような表情が常の沖田だ。笑顔を見せてくれないわけではない。むしろ自分といる時は普段より表情が柔らかいのではないかと思っている。希望的観測が含まれていることは否めないが、それでも自分には心を緩めてくれているという自信は多少なりともある。だから今現在の沖田との関係やその反応に不満があるわけではないのだ。
でも、こんな満面の笑顔は見せてくれたことはない。
仕方がないのかもしれないが、だがやはり頑是無い子供のような嫉妬心は納まりそうにない。
自分にもこんな感情が残っていたのかと驚くほど、銀時は沖田に執着していた。
まったく、みっともねぇ。
思うが止めることは容易ではない。厄介な感情だ。
お陰で酔いも醒めて、すっかり呑む気分ではなくなってしまった。
「先に失礼すんな」
お勘定はこのゴリラにね、店員に告げると銀時は近藤の返事を待たずに席を立つ。
「おいっ!」
背後で近藤が喚いているが気にしない。
写真返せ!そんな声が聞こえてきて、ああそういや持ってきちまった、と右手の紙切れを見る。
うん、やっぱ悔しいよな。
いくらねーちゃんの助太刀があるとはいえ、他の男の隣でこんな顔をされるなんて、カレシとしての矜持が許さない。
そんな無茶苦茶な論理を頭の中で展開させながら、写真の端に左手を添え、思い切って、しかし慎重に力を入れる。
写真は二枚になった。
よし、うまくいった。我ながらいい仕事したんじゃね?
自画自賛しながら、ほらよと近藤にそのうちの一枚の写真を返して今度こそ店から立ち去る。
「そーごがいない!」そんな悲痛な叫びが聞こえたが、知ったこっちゃない。
「迷惑料に『あの子』もらってくぜ」
聞こえるはずもないだろう捨て台詞を残して、銀時は夜の街をぷらぷらと歩いていった。
街灯の明かりに照らして、右手に残った愛らしい子供の姿に目をやる。
うん、やっぱ可愛いよ。
銀時が見たくて見たくて仕方のない笑顔。我侭を言えば、今の姿だともっとよかったのだけれど。
ああ、でもと思う。今の沖田が同じような笑顔で近藤と並んで写っている写真などがあったら、自分は一体どんな行動をとってしまうのだろうか。そう考えると、自分の知らない幼い沖田でよかったのかもしれない。嫉妬に狂うおっさんなど、自己嫌悪しか沸いてこない。今だって相当だというのに。
不自然に切り取られた写真の中で、一人満面に微笑む幼い沖田。
隣の空いたスペースはどうしようか。
ちょっと細工してみるのもいいかもしれない。そうすれば、アラ不思議、恋人同士のにこにこツーショット写真のできあがり。まあ、かたっぽ子供だけど。そこはまあ目をつぶるとして。
懐に大事に大事にしまっておこう。
こんな偽者じゃなく、本物の笑顔に出会えるまで。
どうやって笑顔を引き出そうか、そう考えるだけでこのだらしのない顔もきっと笑顔になるに違いないからさ。
おしまい。
銀沖前提で銀さんと誰かが沖田くんを語るっていうシチュエーションが大好きです。
うちの銀さんは沖田くんのこと好きすぎ。
(2011年5月9日)