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「旦那、今度の金曜日空いてますかィ?」
「んー。金曜って8日だよな。あー、仕事だわ。8日って七夕の翌日じゃん。毎年七夕飾りの後片付け入んだよね」
「そうですか。ご苦労なこって」
「そーなのよ、面倒臭ぇことこの上ねぇよ。飾ったもんは自分たちで片付けろってーの。ところで、なんか用事でもあったのか?わざわざ予定聞くとか珍しいじゃん」
「別に。特にありやせんよ。ただ暇なんで、旦那で遊ぼうかと思いやして」
「旦那でってなんだよ。でって。旦那と、だろ。で、じゃなくてと!」
「いえいえ、旦那で、でさァ」
そう、特別なことなんて何もない。
毎年必ず非番になるその日に、ちょっと、旦那に会えたらなって思っただけ。
- Birthday Song
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旦那とは、所謂『コイビト』同士のような関係だ。
ようなって付けてしまうのは、ほんとのコイビトっていうのがどういうものなのか俺にはよくわからないのもあるが、果たして自分たちの関係が一般的に言うソレに当てはまるのか、はなはだ疑問に思っているからに他ならない。
告白は俺からした。
旦那のことを好きになったのは結構前だと思うけど、自覚したのは最近だ。
事あるごとに脳裏に浮かんできては頼ってしまう。会えれば嬉しいし、話しができたら最高、自分を放って他人とばかり話していればイライラする。自分にガキ臭い独占欲があることはわかっていたから、ちょっと行き過ぎてるけど、気を許したただの悪友だと思っていた。
それが違うとわかったのは、夜の繁華街で旦那が知らない女を侍らせて歩いているのを見てからだ。
酷く気分が悪くなり、鍔を切りそうになる左手を握り締め、殺気を押さえるのに必死になった。旦那と女とどっちを斬ろうと思ったのかはわからない。とにかく、その光景を壊したくて仕方なかった。
女を欲しているわけでもない自分が、旦那に女(恐らく商売女だろう)がいたことで酷く気分を害したのだから、それはもうどちらに嫉妬していたのかは考えるまでもなかった。
恋愛というものに一切の興味を抱いてこなかったというのに、初めて惚れたお人が一回りも年上のおっさんっていうのにはまあそれなりに衝撃を受けたけれど、思ったよりもすんなりと受け入れられた。
自分の性癖が世間一般とずれているっていうのは周囲の反応を見ればわかったし、だったら惚れる相手もちょっと変わっていたってなんらおかしくはないだろう。
異性に興味が沸かない上に惚れた相手が同性ということで、もしかしたら自分はゲイなのだろうかと思ってもみたが、周囲に腐るほどいる男どもを見ても、でかい臭いうざい汚ぇくらいにしか思わないので、くもの糸ほどに細い自分の恋愛琴線に触れたのがたまたま旦那だったということらしい。
旦那が好きと自覚してからも、それを旦那に告げるつもりはなかった。
あの人を見ていれば普通に女好きなんだろうってことは俺にでもわかったし、自分なりに築いてきた旦那との『悪友』と呼べる関係は心地よく、それを崩してしまうのは憚られたからだ。自分の気持ちに後ろめたいことはなにもなかったが、あの人は優しいから、告げられた気持ちに応えられなければきっと申し訳なく思うだろうし、俺に気を使ってギクシャクするのは目に見えていた。だから言うつもりもなかったし、この想いが成就するなんて考えてもいなかった。
そんな俺の思慮がパーになったのは、ある夜の巡回中。酔っ払って足元も覚束ない旦那を見つけて介抱していた時だ。
どんな脈絡でそういう話題になったのかはわからないが、旦那がしきりに独り身であることを嘆き始めたのだ。
「もうさー、ほんとにね、銀さんだってな、天パの呪いすらなけりゃぁ今頃両手に花だよ、何が悲しくて一人寂しく酒飲んでなきゃなんねぇんだよ。きれーなねーちゃんに酌してもらいてぇよ」
今にも座り込んでしまいそうな旦那の腕を肩に背負い、自分より大きな体に押しつぶされそうになりながらも必死で支えているというのに、聞かされるのがこんな愚痴では、いくら好いた相手とはいえ、うんざりもする。
「アンタがモテねぇのは天パ関係ないと思いやすが。今の自分の姿を見てみなせェ。百年の恋も醒めまさァ」
まあ、俺の恋は百年通り越してるみたいだけど。
「んだよ、冷てぇなー。クソっ、きれーなおねーちゃんの胸にうずくまりてぇー」
そういうことを言っちゃうか。いくら知らないとはいえ、なんてデリカシーのない男だろう。
無言の俺を訝しがったのか、旦那が顔を覗き込んでくる。
「何々、拗ねちゃった?」
「拗ねてやせん。……悪かったですね、色気も愛想もねぇまな板男で」
「んー、そーでもねぇよ、沖田くん可愛いから。俺ちょー顔好みよ」
「あー……そですか。顔ね」
「アレだよ、沖田くんはいないの?彼女とかさー」
「いやせん。興味ねーんで」
「何言っちゃってんのよ若い身空で。今のうちが花だよ、今だけよ?人間気付いたらあっという間におっさんだかんな。時の流れは残酷だよー」
「わかってらぁ。良い見本が目の前にいるんでね」
残酷なのは時じゃなくてアンタだ、そう言いたいのを堪える。
気になる相手に色恋沙汰を他人事のように尋ねられるのは、どうしたって不快だ。
あーあ、さっさと終わってくんねぇかな、この話題。つか、さっさと醒めてくんねぇかな、百一年の恋。
でも旦那はまだこの話題を続けたいらしく、しつこさはいや増していった。
「お前ってそういや浮いた話一つ聞かねぇよな。若いのに」
「俺のことなんていいでしょ。そんなしゃべる元気があんなら歩きなせェ」
「じゃあさ、好きな奴とかいねぇの?」
「………いやせん」
「あっやしー!いるんだろー?正直にいっちゃえよ、な。俺の知ってるやつか?」
「………」
「沈黙は肯定ってな。なになに、銀さんが取り持ってやろうか?安くしとくぜ」
「……必要ねぇです」
「遠慮すんなって!万事屋銀ちゃんに任せなさい、若人よ!」
「ああ、もううっせーな。アンタだよアンタ」
「あ?」
「俺の好きな奴ってーの、旦那」
「え?」
「旦那が好きだっつってんだ」
あーあ、言っちまった。どうしてくれよう。
これからはもうこの人と今までどおり気楽に話すこともできないかもしれない。目の前が一瞬暗くなる。同時に、旦那を支えていた力もすっと抜けてしまって、二人して尻餅をついてしまった。
暗い路面の硬い感触と冷たさが伝わる。肩にかかった旦那の腕や密着した体の温もりが今更ながらに意識されて、突き放すことも顔を上げることもできなかった。
ただ、心の奥では不思議とすっきりとした思いもあった。燻っていた想いを解き放った開放感と達成感が沸いてくる。
もういいや、言っちまったもんはしょうがねぇ、なるようになるさ。諦めに似た想いを抱いた時、沈黙を守っていた人が唐突に言った。
「マジでか。じゃ、つきあおっか」
「は?」
今度はこっちが聞き返す番だった。何を言っているのだろうか、このお人は。
「よし、これから銀さんと沖田くんは恋人同士です。よろしくお願いしまっす」
行儀良く、とまではいかなかったが、一礼を伴った挨拶。だが、ヒックと酒臭い息とともに放たれた台詞、誰が信じるだろうか。
酒に酔って正常な判断ができなくなっているのだろうと判断した俺は、混乱もあったのだろう、ろくに返事もしないで、有無を言わせず万事屋に引っ張って行って、無用心にも鍵のかかっていなかった玄関に旦那を放り投げた。旦那は気持ちよさそうに眠っていた。仕事をする気分はとっくに失せていたが、ボーっとしていてもいらぬことばかり考えてしまいそうで、その夜は自分でもびっくりするくらい真面目に不逞浪士どもを片っ端からしょっぴいてやった。
旦那は、一晩経って酔いがさめればきっとすっかり忘れているか、自分の吐いた台詞を後悔するか、どっちかだろう。
そう思っていた。
だから、次にあった時に旦那に人目につかない路地に連れて行かれて抱きしめられた時は、本気で意味がわからなかった。
何かを尋ねる余裕などなく、温もりを感じて高鳴る心臓の音だけが耳に響いていた。
ようやく落ち着いてきて、「旦那?」と問いかけると、至近距離で顔をじっと見られてから口を舐められた。
チューされた、と思うと同時に、ああそういえばこの人は俺の顔が好みだとか言っていたなと思い出した。
舞い上がっていた心臓は一瞬にして冷えた。
どうやら、旦那はあの夜俺と自分が口走ったことを、忘れてもいなければ、なかったことにするつもりもないらしかった。
胸はないけど顔は好みの奴が、ちょっと寂しいと思っていたところに告白なんかしてきたもんだから、まあいっかってなったんだなーと。男だけどこの顔なら隣に侍らせといてもいいやってことなんだろうなーと。妥協したんだろうなーと。胸ないけど。
俺は旦那に避けられたり変に気を使われたりされるのが嫌だったから、たとえ旦那が俺をどう思っていようが、俺の想いをわかった上で近くにいさせてくれるのは嬉しかった。だから、旦那に求められれば受け入れたし、旦那がそっけなくても仕方ねぇって思えた。
俺と旦那の関係は、基本的には以前と変わらなかった。街で会えば話して、時間があれば駄菓子屋や団子屋でのんびりして、やっかいごとを押し付け引き受けしつつ、たまに抱き合う。二人だけの密事の他は気の置けない関係のまま。
それはひどく心地がよかった。
一線を引いたままの関係は、面倒もなく、心も惑わされない。
コイビトのような、俺と旦那。
このままでいい、と思っていた。旦那がどう思っていようと、俺が旦那と一緒にいられるならそれでいいと。
でも本当は、俺はもっと欲深かったのだ。
***
金曜の朝、目が覚めてしばらく布団でボーっとしていると、忙しい足音がやってきて、無遠慮に障子が開け放たれた。
「総悟!誕生日おめでとーー!」
近藤さんの大声と満面の笑顔に祝福されて、四分の一も稼動していなかった脳が動き始める。
毎年のこととはいえ、こうして全力で祝ってもらえるのは嬉しいものだ。今年も忘れないでいてくれた、という安心感もある。
寝巻姿の俺とは違い、近藤さんは既に隊服に着替えていた。今日は局長は江戸城に登城するらしい。上からの命令でどうしても日がずらせなくて、一日中誕生日を祝ってやれないことを申し訳ないと頭を下げられたのは、一週間以上前だ。俺はその気持ちだけで嬉しかった。
「でもできるだけ早く帰ってくるようにするから、夜は皆で祝おうな!」
名残惜しそうな近藤さんを笑顔で送り出し、薄物に着替える。
今日は非番で修練もないから、まる一日休みだ。
私服で食堂へ向かえば、会う奴会う奴皆に「おめでとう」と言われる。有り難いが、度を越せばうざくもなってくるもので、中でもしつこかったのは神山だった。
「隊長!おめでとうございます!これでやっと隊長も大人の階段上りはじめたんスね!俺、隊長に何をプレゼントしようかずっと考えてたんスけど、隊長みたいなドSバカが欲しがるものなんて俺には検討もつかなかったッス!」
「オイ今ドSバカっつったろ、もう少しも隠す気なくドSバカっつったろ。いい加減にしねぇとまたケツに脇差ブッ刺すよ」
「隊長となら本望であります!むしろ俺が隊長にブッ刺し…ブギャッ」
「俺の望みはテメーが明後日の方角に消えてくれることだから。永遠に。わかったか、ああ!?」
「隊長ってば恥ずかしがり屋さんなんスから〜。照れなくても俺の全ては隊長のものッスよ(はーと)」
「次言ったら口に突っ込む」
「ええっ!!隊長のをっすか!?」
「死ね」
とりあえず、しばらく口が利けないようにしてやった。これで屯所にもつかの間の平和が訪れるだろう。やっべ、非番なのに真面目に仕事しちまった。
一番煩いのを撒いても、屯所内は俺の誕生日祝賀ムードが充満してしまっていて、食堂はもとより、自室にいてもどっかのザキとかがわざわざ訪ねてまでくるものだから、嫌でも誕生日であることを思い知らされる。
そもそも今日が非番なのだって、誕生日だからだ。毎年休みになるこの日。ただでさえ七夕の翌日という微妙に覚えやすい日なのに、嫌でも意識してしまう。
この年になって誕生日が特別とか、そんなことは思わない。だからいつもどおり女子プロ観戦するなり寄席に行くなり昼寝するなりすればいいのだけれど、根底に巣食った『誕生日』という事実が日常を非日常へと導いていく。
おめでとうと言われるたびに、ああ今日は誕生日なんだなって思ってしまう。
おめでとうと言われるたびに、一番にそう言って欲しい人を思い浮かべてしまう。
いつの間にか、俺にとっても誕生日は特別になってしまっていたのだ。
「どっか行くかァ…」
目的はない。これ以上屯所にいても自己嫌悪に陥るだけだと思っただけ。
外にでも、正直やることも行きたい場所もなかった。
梅雨の合間の晴れた昼間は、日差しが強くて敵わない。
こんなことなら仕事をしていた方ずっとマシだ。巡回中に監視の目を盗んでサボる、あの有意義さは休日では味わえない。しなくちゃならない時はサボりたくなる、することがない時はなんかしたくなる、人間ってのは面倒な生き物だ。
いい加減暑さが限界に来た頃、見慣れた駄菓子屋を見つけて避暑に入った。
冷房もないこじんまりとした店内は、ムンムンして心地いいものではなかったが、直射日光が避けられるだけマシだった。
とりあえずアイス、と店内を物色していると、たまたま目に入ったのは真っ赤なパッケージ。
いかにも辛そうなその菓子に釘付けになる。
――激辛せんべい。
***
江戸に比べて静かで緑溢れるこの地は、上京する以前まで暮らしていた故郷だ。
今はもう待つ人のいないこの場所に、待ってくれていた人は眠っている。
集落のほとんどが檀家となっている小さな寺の墓地は、本堂の裏手、小高い場所にある。
たくさんの墓石の立ち並ぶ中、真新しい墓石が、木陰に遮られてひっそりとたたずんでいた。生前のその人そのもののように、控えめにひっそりと。
「姉上、お久しぶりです。っつっても、二月ぶりですけど」
駄菓子屋でたまたま姉の好物を見つけてから急に思い立ち、激辛せんべいと酒を手に電車を乗り継いでここまで来た。
ここに来るのは、姉の誕生日だった5月に来て以来だ。皮肉なことに、生前はほとんど戻ることのなかった故郷に、姉が亡くなってからは頻繁に来るようになっていた。
周囲の雑草を抜き、水で清めて途中買い求めた花を生け、線香を手向ける。
盆でも正月でもない墓地には、真昼間ということもあってか人気はない。ならば遠慮は無用と、墓石の前に陣取って、持参した酒ビンを開けて姉の分と自分の分を持ってきた紙コップに注いだ。
木陰に風が吹いて気持ちがいい。久しく感じていなかった自然の息吹に目を細める。
「姉上、俺またいっこ年とっちゃいました。今年もまた近藤さんが一番に祝ってくれましたよ。あの人はほんとマメですよね。それからね、組の奴らも食堂のおばちゃんも、どこからもれたんだか知らないけど、みんな俺の誕生日知ってて、『おめでとう』って言われました。あー、土方のヤローも、一応知ってたみたいです。今日休みにしたのもアイツだから。面と向かってはなんも言わねぇけど。つーか今日は顔合わしてねぇし。あ、照れてるとかそういうんじゃないですよ、あの野郎はそういう薄情な奴なんです。姉上も知ってると思うけど、そっけねぇヤローだ。だからモテねぇっつんだ。だから、安心してくださいね。あんな奴に寄ってくる物好きな女なんて、姉上だけだ。きっとこれからも、ずっと」
二月前の姉の誕生日に来た時、俺が来たのは夕暮れ時だったけど、墓には生けたばかりの花と激辛せんべいが供してあった。あの日、土方のヤローは非番だった。
あの野郎のことは認めたくないけど、姉上の幸せは俺だって願ってるんだ。
二人の選んだ道が最善だったとは、俺には未だに思えないけれど。その想いを理解できなくても、認めたいと思う気持ちは嘘じゃない。
「姉上、俺はね、自分の欲を抑えるのが苦手なんです。だから、一度知ってしまった温もりを手放すのは怖いし、どんどん我侭になっていく。姉上みたいに遠くから見守るってーのが、俺にはできねぇのかなぁ」
姉と同じように、自分にも想う人ができた。その人と仮初でも結ばれて、それで満足していればいいのにそれ以上を望んでしまう自分。
「だいたいね、あの人は俺の誕生日なんて知ってるわけないんです。俺言ってねぇし。今日会えないって言われてもなんとも思わなかったし、なんでもない顔していられたんです。仕事めんどくさそうとしか本当に思わなかった。なのに、今日になっていろんな奴にしこたま祝われて、そしたら俺の誕生日知らなかったあの人がだんだん憎くなってきちまったんです。勝手でしょう?」
この醜い想いに耐え切れなくなって、縋るようにここに来てしまった。姉上にはずっと俺のことで面倒や心配をかけていたのに、ようやく解放されたと思ったら今度は愚痴ばかり聞かされて心を煩わせてしまっている。
「俺ぁ未だに姉離れできねぇどうしようもねぇ弟だ」
ちびりちびりと呑んできた酒がなくなる。
「今日あの人に会えないのも寂しいけど、姉上の声が聞けないのも、やっぱ寂しいなぁ」
毎年誕生日には心づくしのお祝いをしてくれた姉。江戸に上ってからも電話口で優しい声を聞かせてくれていた。
「こうして毎年この日を迎えて、どんどん年取っていって、いつか姉上を追い越してしまう日が来るんでしょうか。想像もつかねぇけど」
時の止まってしまった姉と違って、生きている自分は年をとる。あの人が行っていたように、このまま運良く生きていれば、いつかおっさんになるのだろう。
そしたらあの人はジジイだな。
おっさんになった自分は想像つかないけど、じじいになったあの人は簡単に想像できて笑えた。
その時まであの人と一緒にいられるとは思わないけれど…。でも、そんなずっと先のことじゃなくていいから、今は――。
いつか、あの人と一緒に姉上に会いに来れたらいいなぁ。
風に揺られて名も知らぬ白い花が揺れた。
心の中で呟いた一言に、姉上が頷いてくれたような気がした。
『待ってるね、そーちゃん』
***
江戸に戻ると、空は薄暗い雲に覆われ始めた。日が長いこの季節、黄昏時になっても空は明るかったのに、急に鉛色にとって変わることがある。
一雨来るかもしれない。
傘なんて持っていないから、降られる前に帰ってしまおうと急ぎ足で屯所に向かっていると、背後から近づいてくる足音がする。急激に近づくその音は、自分に向かっているとしか考えられなくて振り向くと、そこには今日一日この身を煩わせてくれた元凶がいた。
会いたくて仕方がなかった人。
「旦那…」
「お、沖田、くんっ」
両手を膝について息も荒くこちらを見るその人は、ほっとしたように一つ息を吐いた。
「はーっ、やっと見つけた…」
涼しげな配色の旦那を前に、無表情を心がけた。気を抜くと頬が緩んでニヤけてしまいそうだった。
「そんなに急いでどうしたんですか?探しもんでも?」
「あーまあ、探しものっちゃ探しものか。もう見つかったけどな」
「はあ。そんで、俺に何か?」
「うん、あー、そのな」
息の整ってきた旦那は、曲げていた腰を伸ばして、頭をぽりぽりと掻いている。目線はあっちを向いていて、どこか気まずそうだ。
そんな態度をとられる覚えがなくて、首をかしげる。
「出掛けてたの?」
「え?ええ、まあちょっと」
「今日暇だって言ってたじゃん」
「はあ。暇だったんで出掛けたんですけど」
「そっか」
脈絡を得ない会話。一体なんだというのだろう。
「旦那はお仕事はお済みで?」
「ああ、多分」
「多分?」
「新八に押し付けてきたから。でももう終わってんだろ。あと一箇所だけだったし」
ますます意味が解らない。仕事ほっぽって何をしているのか、この人は。
沈黙と気まずさに視線を動かせば、今にも泣き出しそうな空。あー、これは間に合わねェな。雨宿りするような場所は近くにはないから、塗れる覚悟を決めるべきだろう。まさか目の前のお人が懐に折り畳み傘を持っているなんて有り得ないし。
そうして再び旦那に目線をやれば、ちょうど沈黙を破ろうとしたところだった。
「……今日、誕生日なんだってな」
「……」
「昼間、仕事中にジミーくんに会った」
「ああ、そーすか」
聞いたんだ。それで、はじめて知って。この人はどうしたのだろうか。俺を探していてくれたのだろうか。仕事放り出して、俺に会おうとしてくれたのだろうか。
先程の必死の形相の旦那が思い出された。
「悪ィ、俺知らなくて。今日断っちまって」
「いえ、ほんとに暇だったから旦那誘おうと思っただけで、仕事ならしょうがねぇでしょう」
「違ぇよ。せっかく沖田くんが初めてデートに誘ってくれたのに、なんかあるって考えねぇで流しちまって、ちょー後悔してんだよ」
「デートって…」
「デートだろ?俺たち恋人同士なんだから、二人でどっか行くのはデートっつーの」
「コイビト、どうし…」
「そうそう恋人。大事な奴の誕生日くらい盛大に祝ってやりたいじゃねーか。いや、金ねぇから大したもんプレゼントできないけどね。でもこういうのは気持ちだろ。心がこもってればそれが相手に伝わるってもんだろ。だからそこんとこね、大目に見てね。つーかさー、沖田くん言ってくれないからほんとになんも用意できなかったじゃねーか。いや、これはあれだよ、ほんとに急だったからであってね、事前に知ってれば何かしらプレゼント的なものを用意したよ、銀さん。いや、そもそも好きなやつの誕生日知らなかった時点で駄目駄目じゃん俺!ってか、げ、雨降ってきやがった」
旦那の怒涛の長台詞に、口を挟むどころか呆気にとられて脳みその処理が追いつかない。
雨を避けられる場所を探そうとする旦那に腕を引っ張られても、足は言うことを聞かなくてもつれるばかり。ようやく雨粒を避けられるような軒下に入った時には、二人ともずぶ濡れになっていた。
「すげーな、ゲリラ豪雨っつーのか、こういうの。いや、たんなる夕立か?」
着流しの裾を絞っている旦那を横目に、俺は頭がまだぐるぐるしていた。ようやく飲み込めてきた旦那の台詞、でもまだ理解できたわけじゃない。
「すきって…」
「ん?どうした、寒いか?」
「旦那は俺のこと、好きなんですか?」
優しげに問いかけてくる旦那に安心して、尋ねた最大の疑問。旦那は目をまるくして、数瞬の後。
「まだそこなのぉ!?」
びっくりして叫ばれた。
いや、びっくりして頭がパンクしそうなのはこっちなんですけど。
「言ったじゃん、俺最初に。もしかして酒入ってたから疑われてた?」
「んなこと言われてねぇです」
「嘘、俺言った覚えあるぞ、沖田くんが好きって」
「俺の顔が好みとは言いやしたけど…」
「あれ?顔限定だった?」
「あと、きれーなねーちゃんのでかくてやわらけぇ乳に包まれてぇみたいなことも言ってやした」
「あ、あれれ?マジで?」
汗だらだらな旦那が可笑しくてちょっと大げさにしてしまったが、趣旨は変わっていない。旦那に好きと言われたのは、さっきのが初めてだ。
「じゃあなに、お前ずっと疑ってたわけ?」
「疑ってたっつーか、旦那の目的はこの顔なんだろうなって思ってた」
「ばっか、おめー。顔だけで男選ぶくらいなら多少好みから外れてても柔らかい女を選ぶわ」
「その女どもに見向きもされねぇくせに」
「んだとコラ。銀さんはね、こう見えて身持ち固いんですー。好きでもねぇ奴と付き合うほど飢えてねぇし、こんな必死になって探したりしねぇよ」
「俺を探してくれたんですか…?」
「当ったり前だろー。おめー、だって仕事してたらたまたま顔合わせたジミーに『今日沖田さん誕生日なんですよ〜』とかのほほんと告げられたんだぞ。よりによって赤の他人のジミーに。そりゃ必死になるさ。屯所行ってもいねぇし、町中探したっていねぇし、もう銀さん走りっぱなしだよ」
「まあ、江戸にいなかったんで、いくら探しても見つからねぇのは道理でさァね」
「うるっせーよ。遠出するなら言えよなー全く。お陰で銀さん余計な心配しちまったよ。捨てられちゃったらどうしようとかさー」
「捨てる?なんで」
「だって誕生日に恋人ほったらかして仕事優先したばかりか、そもそもその誕生日ってことすら知らなかったんだぜ、普通怒るだろ」
「怒るんですか?」
「女ならな、怒るだろ」
「じゃあ俺男だから平気なのかな。別に怒ってやせん。それに俺旦那になんも言ってなかったもん。生まれた日ってだけで、別に特別なことなんて何もありゃしませんよ」
ただちょっと、寂しかっただけで。会えたら嬉しいなって思っただけで。
旦那はそんな俺を諭すように、目線を合わせてポンポンと頭を撫でた。大きな手があったかい。
「何言ってんの。その生まれた日ってのが特別なんだろーが。誕生日ってなァ、好きだから祝ってやりたいんだろーが。大事だから、祝いたいんだ。だって、沖田くんが生まれた日だよ?この日がなかったらお前いないし、会うこともなかったんだぜ。お前にも、お前を産んでくれたご両親にも、お前を育ててくれたねーちゃんにも、感謝してもしきれねぇよ」
「だん、な」
「生きててくれてありがとうな」
旦那が優しく微笑んで、ぎゅっと抱きしめてくれた。
俺は初めて自分の誕生日に泣いた。
「ねえ旦那、俺さっき姉上に会ってきたんでさァ」
「武州に?」
「うん。でも姉上に育ててもらった礼を言うの忘れちまった。それどころか俺の愚痴ばっかり聞かせて」
「うん」
「姉上は呆れちまったかな、俺のこと」
「ばっか、ンなことあるわけねぇだろ。沖田くんのおねーちゃんお前のこと超溺愛してたじゃん。会いに来てくれただけで嬉しいって思ってるんじゃねーの?」
「そうですかね。うん、きっとそうですね。でもちゃんと感謝してぇかも」
「そんじゃ、今度の休みにでも行くか。ドライブがてら」
「連れてってくれるんですかィ?」
「原チャだけどな」
「望むところでィ」
姉上、あの約束、思いの外早く叶いそうです。
旦那と三人、酒酌み交わすのも悪くないと思いませんか?
その時になったら、旦那のことちゃんと紹介しなおしますね。
『恋人の坂田銀時くんです』って。
おしまい。
沖田くんお誕生日おめでとうv
そご誕なのにひど銀目指して挫折しました。
やっぱりうちの銀さんは沖田くんらぶってなきゃ駄目みたいです。
(2011年7月8日)