- 月と君
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「月がーでったでーたー月がーあでたーーあヨーイヨイっ」
「何、石炭でも掘りに行くの?」
「あ、せんせ。お疲れっした」
雑務を終えて校舎を出れば、夜はすっかり更けていた。
人気のない駐輪場にぽつんと置かれたスクーター。そこに腰掛けてそらを見上げていたのは、もうとっくに帰ったはずの教え子、沖田だった。
一心に天を見上げて紡がれる調子っぱずれの唄に、疲れも忘れて自然と口元が緩む。
「今日は遅くなっから先帰れっていっただろ」
「んー、そうなんですけど。こっから見る月がキレイだったんで」
沖田の視線を追って空を見上げれば、わずかな雲の隙間から見える見事な満月。
「こりゃーまた…」
「キレイでしょ。これ見てたらなんか時間が経ってました」
「そういや、今日は中秋の名月か」
「そう、ちゅーしゅーのめーげつ」
「お前意味わかってねーだろ」
「ありゃりゃ、バレやした?」
首をすくめる沖田に、バレバレだ、と頭をひとなで。
「中秋ってのは秋の真ん中、旧暦の8月15日のことだな。十五夜っつーだろ。この日はほぼ満月で、月も高い位置にあるから綺麗に見えるんだと。だから昔っから月見に最適って言われてんだな」
「ふーん」
「とはいえ、季節的に曇りとか雨のことが多いから、こうして中秋の名月に月見ができるのは結構貴重なんだよ」
「へぇ、さすが腐っても国語教師」
「いや、国語関係ないから。コレくらい常識として知っとこうね」
「小難しいことは苦手なんでィ。つまりは月がキレイで見惚れちまうってことでしょ」
「まーな」
「なんにも知らなくてもこうして月見しちまうって、俺って結構文学的かも」
「どーだろーねぇ。でもたしかに、いい月だな」
「でしょ。これを先生と見たくって」
待ってたんでさァ。
そう言って期待をこめて見上げてくる沖田は、生き生きとして嬉しそうで、可愛い。
その顔は月明かりに照らされて、白い肌や淡い髪色も手伝ってまるで暗闇に浮かび上がるかのよう。
ふたつとない宝石のように輝いてとても眩しくて綺麗だ。
常にない表情と、自分の帰りを待っていてくれた健気さに、知らず心拍数が上がっていく。
――手の届かない月なんかより、お前の方がずっと…。
魅入られたように目が離せない。
白くすべらかな頬に手を添えて、その感触を掌で確かめる。そしてゆっくりと顔を近づけ、柔らかな唇の感触を味わう。
目蓋を開いて至近距離でその顔を見れば、目を真ん丸にして驚いている沖田がいた。
「せんせ…?」
「…沖田」
淡く頬を染める沖田に煽られてなおも続けようとすると、沖田は慌てたように胸を押し返してきた。
「せんせ!ここ、がっこですぜ」
その言葉にハッと我に返り、慌てて一歩退いて辺りを見回す。幸いにも人気はなく、虫の声ばかりが響いていた。
ホッとした。まだ校内に残っている職員もいるというのに、うかつなことをしてしまった。こんなところを見られたらただでは済まないというのに。
そして改めて自分の行動を思い起こせば自己嫌悪の嵐だ。
――何やってんだ自分!聖職者だろ!生徒の色香に惑わされてついって、やばいだろ!無意識ってやばすぎるだろ!しかもいくらそれが恋人だって校内は駄目だろ!いやホントは校外だって駄目なんだけど、そこんところは目をつぶるとして。だってもう手ェ出しちゃってるし。てかそれはいいとして、俺さっき心の中で鳥肌が立ちそうな台詞を口走ってたよね、月よりお前とか何言っちゃってんの!?俺が見惚れてるのはお前だよとか、気持ち悪ィよこのクソ教師がぁ!!あれ、それはなかったっけ?まあいいや、でもあれとかこれとか口走らなかったのはグッジョブだ自分!よくやった!
頭をかきむしって悶えていると、沖田にちょいちょいと髪の毛を引っ張られた。
「お忙しいところ悪いんですが」
「あ?」
「全部出てますぜ、心の声」
「……え……」
「月より俺ってんなら、こんなところ月で見てねぇで早く帰らねぇと」
「…………」
「帰って思う存分俺を愛でてくだせぇよ」
「…………」
「俺に見惚れちまったんでしょ?ね、せーんせっ」
「………まじでかぁぁぁっ!ぐっふおぁぁぁぁぁぁぁっっ」
あまりの羞恥に吐血(心情的に)、沖田の可愛さに思わずキュンとしてしまった自分自身の中二さ加減に失神(したかったむしろ)。
その後、団子が食いたいという沖田にコンビニに連れて行かれ、大量生産品のわりに味のいい安団子に舌鼓を打ちつつ二人並んで家路についた。
月見を楽しみながら。
もちろん、ありがたくお持ち帰りして、思う存分おいしくいただかせていただきました。
めでたしめでたし。
中秋の名月を見ていたら炭坑節を歌っている沖田くんが浮かんできてできた突発文。
書いていたら最初考えていたのより100倍甘くなった。
(2011年9月12日、中秋)