外は曇天。重い雨粒を持ちこたえていられるのも時間の問題だろう。空気中に充満した水蒸気は不快指数を限りなく上昇させていた。
そんな日の午前。
万事屋家業は現在開店休業状態。いつも煩いガキどもは外出中で、久しぶりの一人の時間を満喫しようと、応接間のソファに寝転がりジャンプを読んでいた時だった。
いや、本当は昼までぐーたら寝てようと思っていたのだが(朝食カットできるし、いやマジで今キツイのよ)、あまりの蒸し暑さに目が覚めてしまったのだ。銀玉で食料稼ごうにもなんか今にも雨降りだしそうだし、そんな中敢えて外出するのも面倒だし、だったら大人しく家でジャンプ読んでるのが心身ともに充実するってものだ。なんか熱いものに燃えられるし、消費カロリーは抑えられるし。
ということで、色々思考した結果、大分くたびれてきた今週のジャンプをめくっていた時。
ガラガラッと威勢よく玄関の開く音がした。
あまりの思い切りのよい音に、新八か神楽が帰ってきたのかと思ったが、いやそんなはずはない、と思い直す。今日は新八はお通ちゃんのライブで休暇をとっているし、神楽はお妙と買い物だかなんだかに行くとか言って女同士無駄に燃えていた。ちなみに、定春は神楽が乗っていった。恐らく新八の家で留守番でもしてるんだろう。つまり、二人がこの時間に帰ってくることはあり得ない。しかし客にしては無遠慮すぎる戸の開け方だ。すると、知り合いの誰かだろうか。もしかしたらお登勢かキャサリンが家賃の取立てに来たのかもしれない。それは困る。一食の食費にすら困っている今の状況で家賃なんか払えるはずがない。
とりあえず隠れとくか。
思い至った答えに従って便所にでもこもっていようと身を起こしかけた耳に入ってきたのは、なんとも緊張感に欠ける声だった。
「だーんなーぁ。お留守ですかーい?」
声の主はすぐに特定できた。最近では聞き慣れてしまったといっても差し支えないほど、なんだか知らないが縁あって関わり合っている人物の声だ。
とりあえず家賃の取立てではないとわかったので、便所逃避は止めにする。
「ったく、せっかく人がのんびりしてたのによー。なんの用だよ一体」
小さく愚痴を零しながらジャンプを閉じてテーブルに置く。すると、背後から思わぬ返事が返ってきた。
「いやーお休みのとこすいやせんね。ちょいとお願いがありやして」
「あぁ?」
振り向くと、その声の主――沖田総悟と言って、どこぞのチンピラ警察の一番隊隊長なんかをやってる、一応警察官――が、いつの間に上がったのかすぐ背後に突っ立っていた。
「おめー勝手に上がってんじゃねーよ。不法侵入で訴えるぞコノヤロー」
「返事ねーから勝手にどうぞってことだと思いやして」
「あー!?そんじゃ泥棒はどうすんだ。無断で盗みに入ってもお咎めなしですかテメー」
「まあまあ。でお願いですがね」
「人の話聞けっつーの!お前アレだよ、教わんなかったの?人が嫌がることはしちゃいけませんて常識教わんなかったの?」
「俺の信条は、自分がして楽しいことは進んで人にしろ、でさァ」
「それはドSの信条だろーが」
「そいでですね、旦那」
「あーもーなんだよ。厄介ごとはごめんだぞ」
何を言っても暖簾に腕押し。諦めてソファに背を預け、立ったままのヤツに、向かいに座れと顎で示す。
沖田は一瞬座るような仕草をさせたが、結局座らず、立ったまま『お願い』をしてきた。
「布団貸してくだせェ」
懐から趣味の悪いアイマスクを取り出しながら、相変わらず感情のこもらない声でそう告げる。
「はあ?」
「いやね、夜勤でついさっき仕事上がったばっかなんですけど、屯所は朝っぱらから非番の隊士らが一杯やっててうるせぇし、外は雨降りそうだし、寝るためだけに宿借りんの馬鹿らしいし、したらここが一番楽に安眠できんじゃねーかと思い至りまして」
ホント眠いんでさァ。
目をこすりながら言う姿は、なるほど確かに今にも目を閉じてしまうそうだ。大きいパッチリとした目は半分以上が瞼で覆われている。
いつもは外で仕事をサボって昼寝しているのをよく見かけるが、そういえば見慣れた隊服ではなく私服を着ている。
「今度甘味奢りやすよ」
「し、仕方ねーなぁ!そういう事ならどうぞ使ってください煎餅布団ですけど」
欠伸とともに発せられた甘い誘惑に、コロッと態度を変える。糖分には変えられねぇ。
「助かりやす。寝所はこっちですかィ?」
奥の襖に手をかけながら問いかけるが、その手は答えを聞く前に襖を開けている。
おいおい、聞いた意味ねーじゃん。確かにそこであってんだけど。
襖を隔てた和室には、朝起きたまま敷きっぱなしの万年床がある。窓も開けてないから、ムンとした空気が開いた襖の隙間から入り込んできて、不快感が一気に上昇した。
「わー旦那用意いいや。もう床が出来上がってる」
「うっせーよ」
嫌味かと思ったが、どうやら思ったことを口に出しただけらしく、沖田は和室に入ると自然な動作で襖を閉め、お休みなせェと小さな声が襖越しに聞こえた後は物音もしなくなった。
「寝ちまった…のか?」
しばらくたってから、音を立てないように気を使って襖を開けると、薄い綿の毛布を一枚かけた沖田が布団の上で横になっていた。
パッチリとした目の描かれたアイマスクをしていて一瞬戸惑うが、あのマスクの下の本物の目は閉じられているのだろう。音のない室内に微かな寝息が聞こえる。
枕元には、綺麗に折りたたまれた袴と差料が置かれていた。
「こういうとこはちゃんと躾られてんのな…」
沖田が身だしなみを乱しているのを見たことがないことに思い至る。私服の時も知っている限りではいつも小奇麗な小袖に折り目のきちんとついた袴をつけて足袋を履き草履を履いているし、隊服の時も上着を脱ぐことはあるが、見ているこちらが息苦しくなるような隊服をいつでもスマートに着こなしている。
「最近の若いもんにしては乱れてねーよな、こういう面では」
空気を震わせる程度の独り言の後、気配を消して忍び足で床を迂回して窓までたどり着くと、閉めっぱなしの障子と窓を全開にし、網戸にした。
外の空気も湿っていてあまり気持ちの良いものではないが、この室内のこもった空気よりはマシだろう。ほんの微かな風だが、息苦しいほどの熱気が次第に薄れていく。
しっかし。
「こいつよくこんな熱ィーとこで寝てられんな…」
ぱっと見汗もかかず、しかも毛布までかけて、仰向けで涼しい顔をして寝ている沖田に妙に感心してしまったのだった。









雨は昼を過ぎた頃からパラパラと降り始め、おやつ時の頃には大粒の雨が道路のあちこちに水溜りを作っていた。
午前中よりはマシになった蒸し暑さは、しかし肌にまとわりつくような湿った空気に包まれて涼しさや過ごしやすさとは無縁となっている。
大切に節約しながら摂取してきた買い置きのアイスキャンディの残り一本を名残惜しげに舐めながら、ふと閉まったままの襖の向こうに思いを馳せる。
雨脚が強くなった頃に窓を閉めに行った時は、寝入った時と同じ体勢で相変わらず安眠を貪っていた。
不思議なヤツだと思う。
幼さの残る(まあ実際まだ子供なのだが)優しげな容姿は、泣く子も黙ると称される真選組の幹部とは思えないし、一見して、とても神楽と張り合うほどの腕の持ち主には見えない。
自他共に認めるドSのサボり魔で、こちらが呆れるほどめちゃくちゃな行動をとることもあるが、その奥底には不正を嫌う潔癖とも思える本性が隠れている。しかし職務に対して決して真面目なわけではない。まあ不真面目でもないようだけれど。
いつも飄々としていて何を考えているのかさっぱりわからないが、自分とは折が会うのか、街中で出くわしても和やかなもので、軽く愚痴を叩き合うことはあっても彼の上司のマヨラー相手のように喧嘩に発展したり張り合ったりするわけではない。
今日のように万事屋に訪ねてくることも、実は初めてではない。流石に寝床を借りにきたのは初めてだが。
ゴリのように決して扱いやすい訳ではないが、苦手意識もないし、どちらかというと気が合う方かもしれない。
以前沖田が『同類』と称していたことを思い出す。外見や趣向は違っても、奥底にあるものが似ているような気がするのは否定はしない。それが果たして同類ということになるのかはわからないが。
実年齢や外見に反して、変に大人びていて達観しているようなところがあるが、自分からしてみれば沖田はまだまだガキだと思う。ああ、しかし。一回り近く年が離れているというのに、ヤツと話している時はそんなことはあまり気にならない気がする。
「見た目はほんと、可愛い女の子なんだけどね」
沖田が聞いたら無言で刺されそうなことをつぶやきながら、残り少なくなったアイスキャンディを名残惜しげに舐める。
最後の一口を口に入れた時、静かだった隣室から物音が聞こえた。









「おー、やっと起きた沖田くん」
「寝起きに下手な洒落はよしてくだせェ」
人一人通れる程度に開けられた襖から姿を現した沖田は、大口を開けて欠伸をしながら緩慢な動作でこちらに向かってきた。
知らない間に寝返りでも打ったのだろうか、あんなに姿勢よく寝ていたのに、着物が寝乱れていた。乱れた袷から覗く白い首元や鎖骨のラインが妙に目に付いて、何故か見てはいけないものを見てしまったような気がして思わず目をそらした。
不自然に視線を外されたことに、気付かなかったのか気にしなかったのかわからないが、沖田はそのまま歩みを止めずに向かいのソファに腰をかけた。その拍子に裾が乱れ、開いた足のラインが丸見えになる。
だから、目の毒なんだって…。
日に焼けない白い足や、相変わらず開いたままの胸元がどうしても目に付いてしまって、ちらりちらりと盗み見るようにしか沖田を見ることが出来ない。
自分と同じ男なのに、一体どうしたというのだろうか。
今もそうだ、寝乱れてはいるが癖はついていないさらさらの髪を掻き揚げる仕草が妙に艶めかしく感じてしまうのは。
先ほど外見だけは『可愛い女の子』と称してしまったからだろうか。
そっちのケはないはずなのに、不自然に高鳴る胸に、お前は青春真っ盛りの高校生かとののしってやりたくなる。
「おはようございやす。ふあ、よく寝た」
「ほんとよく寝てたよ。よくあの暑い中で眠れたよね。銀さん暑くて朝起きたのによー。あ、帯取れかかってるよ。結び直したほうがいいんじゃないかな?」
いい加減目のやりどころに困るので、わざとらしくならないように自然に注意を喚起してみた。あとで考えればものすごく不自然だったと思うが、この時は必死だったのだ。
「あぁ、すいやせん」
こちらの思いが通じたのか、沖田は相変わらず半分寝たような状態で乱れた着物を直し始めた。しかし、思い切りよく帯を解いて袷を全開にして直すので、直視できないのには変わりなかった。まあ、男同士だし、恥ずかしがられる方が返って気持ち悪いのだが。普段であれば。
着物の乱れを直し、両手を挙げて深呼吸をした沖田は、ようやく目が覚めたのかいつものように大きな目をパチリと開いて話しかけてきた。
健康的な姿に安堵と、何故か湧いた不満を押し隠して対応する。
「しっかし、暑いでさァね。寝てっ時は気付かなかったけど、ほんとよく寝られたもんでさァ」
「そんだけ疲れてたんだろ。夜勤てありゃ若い時じゃなきゃ出来ねーよ」
「昨日は馬鹿な攘夷浪士らがひっきりなしに問題起こしてくれやがったからほとんどまる一日くらい寝てないんでさァ。流石に出動しっぱなしで24時間はキチーわ」
「伊達に市民の血税搾り取ってるわけじゃねーわけな」
「うちの局長はクソがつくほど真面目なんでェね」
「クソ真面目な警官がストーキングしちゃうんですか」
「ありゃちょっと恋愛の仕方が陰険で下手なだけらしいですぜ」
「ちょっと?ちょっとなのか?まあ俺は関係ないからいいけどー」
とはいうが、たまにこっちにも火の粉が降りかかってくるからあまり過剰に刺激しないで欲しいというのが本音なのだが。
「そういえば今日は旦那お一人ですかィ?」
今更ながらに従業員の不在に気付いたらしい沖田が室内を見回しながら問う。
「ああ、アイドルオタクと酢昆布娘はそれぞれの用事で今日は留守だよ」
「道理で静かなはずでィ」
「ほんと、今日は神楽がいなくてよかったよね」
沖田にではなく、自分にとって幸いだった。あの二人が揃うと、少なく見積もっても周囲半径50メートルほどは何らかの被害をこうむる覚悟をしなければならなくなる。どう考えても無事ではすまないだろう自宅兼仕事場を思うと、タイミングのいい神楽の不在と沖田の来訪に心底感謝したい。
「そーだ、旦那ぁ、寝床借りたついでに風呂も借りたいんですけど」
汗をかいて気持ち悪いのだと沖田は訴えた。
コイツでも汗かくのね。
当たり前のことに関心しながら、了承を伝える。風呂貸すくらいなんともないし、今のところ水道代は滞納していないから水が出ない心配もない。
「お湯張ってねーから溜めながらはいってよ。俺も後から入るし」
「はいよ。んじゃ借りまさぁ」
風呂の場所を教えると、寝床に向かった時と同じように迷いのない足取りで沖田は風呂場へと入っていった。









タオルと着替えが必要だよな。
箪笥の奥からひっぱり出した白い寝巻きは、長いこと虫干ししていないだけあってちょっとカビ臭かったが、まあ汗臭いよりはマシだろう。大きさも、多少袖や裾が余るかもしれないが、そこら辺は我慢してもらうとして。下帯はなくてもいいか、着物だし。
着替えとタオルを数枚持って脱衣所へ向かう。
風呂場の入り口には、几帳面に畳まれた着物が置いてあった。それを持ってきた着替え類と取替え、曇りガラス越しの沖田に「着替え置いとくから」と声をかける。
「どうも」と返事を聞いて立ち去ろうとした時、ガラリとガラス戸が開いた。
浴場からもんもんとした空気と湯気が飛び出す。その隙間から、沖田が顔を覗かせた。
綺麗なミルクティ色の髪の毛はしっとりと湿って、色味の増した幾束もの濡れ髪が額や鬢に張り付いている。上気した頬は普段よりも赤みを増しており、その容姿も相まって、まるで年頃の女を見ているかの錯覚にさらされ、戸惑う。
コイツは男だ。野郎だ。自分と同じモンが股にぶら下がってんだぞ。
そう自分に諭し視線を外そうとするが、釘付けになったままそらすことが出来ない。どころか、内から熱い欲情が湧き上がってくる始末だ。
くっそ、コイツがこんな顔してあんな身体しているのが悪い!
そんな八つ当たりじみた文句を垂れながら、目の前の男が内なる葛藤と戦っていることなど知らない沖田は、のん気に赤みの増した薄い唇を動かす。
「あ、旦那ぁ。湯加減がよくわかんねーんだけど、ちょいと確かめてみてくだせェ」
浴室内で響く沖田の声に、ビクリとしてしまう。ほんの一瞬のことだが、そのことでようやく我に返る。
「…あ、ああ。湯加減ね。そんなんテキトーでいいよ、うん、テキトーで」
つーことでヨロシク、と立ち去ろうとするが、ガラス戸の隙間から伸びてきたしなやかな腕に片足を掴まれてしまって動きが止まる。
「ちょ、待ちなせェ。ちょっと確かめるだけでさァ。俺熱い風呂が好きだから普通の感覚がわかんねーんですよ」
「じゃ温めでよろしく」
「それがわかんねーんでさ」
「ホント適当でいいんで。あの、銀さんパーフェクトな人間なのでどんな湯加減にも対応できるんで」
マジで勘弁してください。足首に感じる濡れた感触がマジヤバイんです!なんか銀さん今ちょっとおかしいんで勘弁して!
心の中で絶叫するが、いかんせん言葉には出せないので沖田には伝わらない。顔は必死で背け、首から下は固まったままで。沖田も頑として譲らない。
なんつー情けない状態だよ、年甲斐もなく泣きそうになる。
しばらくそのままの状態が続き、焦れたのは沖田だった。
「わかりやした、旦那」
言葉と同時に、掴まれたままだった足首から温もりが消えた。
ホッとしたのとチッと思ったのと、正直に言えば後者の方が強かったかもしれないが、とにかく今はこの場から離れることが先決と脱兎の如く逃げ出そうとした瞬間。
ガラッと大きな音が響き、今までの比ではない湯気と熱気が一気に襲ってきた。そして、ビチャリという音とともに、背後からまわされる腕。白く濡れた腕が腰に回り、一気に後方に引っ張られる。
なんだコレ、ホラーか!?ホラーだ!あれだ、浴室から女の霊が!っていうやつじゃねーの!?シャワーから真っ黒な髪が流れてくるとか、蛇口を捻ると血が出てくるとか、そういうやつだろ!
「グギャーーっ!!?!!」
ネズミを潰したような音が喉から溢れた。もう何がなんだかわからなくて完全にパニくっていた。なさけねぇ。
「旦那!つっかまーえたっ!」
「え」
悪戯が成功した子供のような声が聞こえて、思わず振り返ると、背中にくっついた沖田が得意げに笑っていた。
そういえば背中になんか生温かい感触がする、と落ち着いて周りを見てみれば、自分は浴室で背後から沖田に抱きつかれた状態で立っていた。
あれ?なんだこれ。
「おーきーたーくーーん!」
先ほどの葛藤も忘れて、腰に回されていた腕を解いて振り返り、自分より少し下にある沖田の頭を両手でガシガシと掻き回してやった。唇を突き出すようにして、小さい子供がするように拗ねて見せていた沖田は、ガシガシ攻撃にたちまちひるむ。
「てめっ何すんだよ!服がびしょびしょじゃねーか!」
「だって旦那が逃げようとすっから!ちょっと湯加減みるだけっつってんのに」
「だってじゃねーよ。どうすんだよコレ!」
「あたたたたた!痛ーってば、旦那ぁ」
「痛くしてるんですー」
制裁がいつの間にかじゃれ合いに転じ、気付けば沖田も自分も笑っていた。一部が濡れただけだった服も、全身びしょぬれに近いような状態になってしまっている。
やがて笑いも一息ついた頃、沖田が口を開いた。
「どうせ濡れちまったんだから旦那も一緒に入りやしょーや」
「えーこんな狭い風呂でか?」
坂田家の風呂は、湯船は人一人入るのにも窮屈なくらい小さい。大の大人二人が入ったらまさにギチギチで身動きが取れなくなるに違いない。洗い場だって二人並んで座ったらさぞ窮屈だろう。
「狭いからいいんでしょーが。なんか童心に返ったようでワクワクしやせんか?」
「童心に返るまではいかねーけど。ま、こんだけ濡れちまったらしょうがねーか」
自分の身なりを見下ろしてため息を吐く。着物の裾から滴り落ちる湯を見れば、脱衣所に戻るのさえためらわれる。仕方ない、ここで脱ぐか。自分の分の着替えは持ってきていないが、タオルは大目に持ってきたし、何とかなるだろう。
諦めて着物に手を掛け脱ぎ始める。
ふと、視線を感じて振り返ると、沖田がこちらをじーっと見ていた。
「……あのー、ものっそ脱ぎづらいんですけど…」
「ああ、すいやせん。つい」
ついってなんだついって。
気にしないようにして手を再開させるが、どうにもこうにも突き刺さるような視線が気になって仕方がない。
自分の身体に自信がないわけではない。むしろ自身はある、あるが、至近距離で凝視されていて心を落ち着かせろという方が無理じゃないだろうか。
おまけに、「なんか旦那のストリップショー見てるみてぇ」などという台詞が飛んできた日には、いくら同性とはいえ、どうにもこうにもやりづらくなってしまう。
「あーもーうっせーな。せめて黙ってろよ」
こうなりゃ自棄だ、と残った衣類を脱ぎ捨てて脱衣所の洗濯機に放り込む。
脱いでしまえばこっちのものだ。
どうだコノヤローと威勢よく振り向いた先。そこには、白い裸体を惜しげもなく晒した沖田がいた。









なんでさっきは平気だったのだろうか。
さっきというのは、沖田に浴室に連れ込まれてから自分が服を脱ぎ捨てるまでのことだ。
脱衣所でアレだけ葛藤していた欲情も忘れて沖田とじゃれ合っていた。ほかの事に意識が行っていていたから平気だったのか。恐らくそうだろう。その証拠に、再び意識してしまってからは、もうアブノーマルへの道まっしぐらだ。いや、その手前で必死に踏ん張って耐えている状態なのだが。
だって、と言い訳する。沖田は同性とは思えないくらい綺麗な身体をしていたのだ。近くで見ればなるほど古傷や痣があちらこちらにあるが、ぱっと見は傷ひとつない綺麗な身体だ。古傷の存在だって決して邪魔をしているわけではない。むしろそれがあるからこそ余計に肌の美しさが引き立つのではないかとさえ思う。適度に鍛えられて決して女性的という体つきではないのに、何故こんなにも惹き付けられるのか。わからないが、かといってこのままここでノンケとおさらばしてたまるか。俺はヘテロだノーマルだコノヤロー。
再び始まった葛藤を他所に、沖田はマイペースに身体を洗っている。白い泡に包まれた沖田は、正直言ってかなり官能的だ。白い泡のところどころから覗く赤みの差した白い肌が視線を釘付けにする。
ようやくたまってきた湯船につかりながら、ちらりちらりと沖田を盗み見る。
あーマジヤバイです銀さん。
己の心に戸惑いながらいい加減おさらばしたい葛藤と戦っていると、沖田がちょいちょいと手招きしてくる。
「旦那の背中流してあげまさァ」
普段あまりお目にかかることのない優しげな笑顔を向けられて、体中の血流が加速するのを感じた。
やばい可愛い。感動に近いような、そんな感情が湧き上がる。
同時に思わず下半身に力が入るが、必死で留める。鎮まれ、鎮まれ俺!呪文のように唱え、根性で抑えてから、ゆっくりと、しかし絶対に沖田に正面を向けないようにして湯船を上がる。
「悪いね」
沖田が差し出してくれた風呂椅子に座って背を向ける。背後の沖田はおそらく膝立ちをしているのだろう、泡立てたスポンジで丁寧に背中を洗ってくれている。
この内に沸き起こる欲はともかくとして、正直に気持ちいい。こんな風に誰かに背中を預けて洗ってもらったことなんて、あっただろうか。昔、あったかもしれない。それこそ、血みどろの戦争に身を投じる前の記憶に。
「なんか懐かしーや」
「ん?」
穏やかな沖田の声に意識を引き戻される。
「昔、俺がまだガキだった頃はよく近藤さんとかと一緒に風呂入って背中流してやってたんでさァ」
「へえ。道理で上手いはずだ」
「上手い?」
「絶妙な力加減」
フッと、沖田が笑ったような気がした。
「近藤さんの背中はでっかくて、洗うのしんどかったんですぜ。旦那の背中も広いけど、今は俺もでかくなったから」
「デカイ〜?まだまだだろ」
「そんなことねーですぜ!これからもっとでかくなるんでさ!」
「どうだかねぇ」
からかってやると、ムッとしたのかバチンと背中をたたかれた。
「いって!」
「すぐに旦那を越してやりまさァ。旦那はもうこれ以上でっかくはなんねーんだから」
すぐムキになるところはまだまだガキだと思うが、口には出さないでやる。いつもは妙に大人びているけれど、年相応な反応は微笑ましいと思うから。
とても温かい感情が胸の奥から湧き上がってくるような気がした。それはまだ十分に形作られるてはいなくて、名前をつけることは出来ないけれど、不思議と心地いい。
洗い終わったのか、沖田は湯桶ですくった湯で背中を流し始めた。あらかた流し終わった後、ふとその口をついた言葉に、異常に反応した。
「やっぱ体格が似てるだけあって体つきも土方さんと似てやすね」
なんだそれは。
ピクリと反応したことに気付いたのか、沖田がいぶかしげに尋ねる。
「旦那?」
無性に苛立っていた。温かなものに包まれていたのに、一瞬にしてささくれ立ったように。
「何それ、実物がいなくても比べられるくらい土方くんの身体なんて見慣れてるってこと?」
「…だ、旦那?」
発せられる不機嫌な気に気付いたのだろう、沖田の声には戸惑いが含まれていた。
「そりゃ、近藤さんと一緒に土方さんも道場の風呂に入ってたし、今だって」
「今だって…?」
「え?ああ、今も…」
ガキの頃ならいざ知らず、今現在もってか。ヤバイ、本気で土方の息の根を止めたくなってきた。
「今も、屯所の風呂は大浴場で銭湯みたいなもんだから、大勢の隊士と一緒に入るし、当然土方さんとも風呂場で鉢合わせすることもありまさァ」
「……は?」
いまなんつった?
「え?もちろん、土方のヤローの背中なんて流してやったりはしやせんけどね」
「大浴場?」
「は?…ええ、大浴場でさ」
それが何か?
不思議そうに問いかけてくる沖田に、思わず脱力する。
「あー銭湯ね。そりゃそうだよね、アレだけの隊士がいたらちっせー風呂じゃ間に合わねーもんな」
「そうですけど、どうかしやしたか?」
訳がわからないのを通り越して心配気ですらある沖田に、なんでもないと返して強引に体勢を変える。
「旦那?」
「今度は俺が流してやっから」
極力その身体を直視しないようにしながら、今度は沖田を風呂椅子に座らせて背中を向けさせた。
「お返しな」
一度流したスポンジを再び泡立たせて、程よく筋肉のついた、しかしまだ成長期を脱却しきっていないようなしなやかな背に触れる。
温かく滑らかな感触に浸りそうになり、慌てて触れていた手を離す。
「すいやせん、旦那」
「いえいえどういたしまして」
ゆっくりと、力を入れすぎないように背中を洗っていく。白く上気した肌を泡で満たしていくのは、どこか排他的でさえあった。同時に満たされる。今この身体を支配しているのは自分だと、錯覚しそうになる。
「俺、初めてかもしんねぇ。背中洗ってもらうの」
「そうなの?」
「いつも流す側でしたから」
「気持ちいいもんでしょ」
「そうですねィ」
気付いてしまった。なんでさっき土方と比較されてあんなにもムカついたのか。この身体に欲情してしまうのか。
気付いてしまえば簡単だった。
いつからそうなっていたのかはわからない。もしかしたら初めて出逢った時からかもしれない。
気付いたら、惹かれていた。
沖田総悟という少年に。
「沖田くんてさ、色白いよね」
もうほとんど泡に覆われてしまった背中の、僅かに残った地肌を探して泡で覆っていく。
「そうですか?旦那も白いじゃねーですか」
「俺もまあどっちかってーと色素薄いのかもしんねーけど。こんな髪してるし」
「ああ、綺麗な銀髪」
「沖田くんも綺麗な髪色だよね。金とも茶とも違う」
「旦那のが綺麗ですぜ。俺すげぇ好き」
「…っ!おぉぉ俺のはどうでもいいんだよ」
好きを、都合のいいように勘違いしてしまいそうになる。
「沖田くんの肌はさ、俺のとは違って、なんつーのかな、ほんとに肌色って感じ」
「よくわかんねーけど…」
肌が透けているような、とても綺麗だと思うのだ。白というよりは、薄い桃色に近いその肌。
今は熱気で上気して、更に血色がよく赤みが増している。
熱を帯び桃色に浮き上がる肌。手触りが良くて、ずっと触っていたくなるような。
「なんか、マシュマロみてぇ…」
「は?」
そうだ、マシュマロ。イチゴの織り込まれたようなふわふわの柔らかい生地。
肩の部分の泡が落ちて、白い、桃色の混じった肌が露になる。
「美味そう…」
「旦那?…っひゃぁ!」
思わずかぶりついてしまった。そして、その感触と甲高い声に、今まで押さえつけてきた欲情に、理性はあっけなく飛び散っていった。









「腹減った…」
布団に寝転がりながらつぶやく。
午後に降った雨のおかげで気温は大分下がっているようだが、湿気のせいで蒸し暑さは相変わらずだ。網戸の向こうから夜の街の騒音に混じって虫の音が聞こえてくる。
一人用の薄っぺらの煎餅布団には、自分と、もう一人。
この腕を枕にしてスヤスヤと寝ている愛しいヤツ。身じろぎをするたびにミルクティ色の髪がサラサラと腕をくすぐる。じんじんと痺れをきたしてきた腕だけれど、この寝顔を見ては抜き取ることも出来ない。
身体を丸まらせてちんまりと胸に納まっているその姿は、可愛らしいとしか表現の仕様がない。いつもは無粋なアイマスクに隠されている寝顔は、安らかで、印象的な大きな目が閉じられているだけでこんなにも雰囲気が変わるものかと驚いてしまう。長い睫毛が影を落とし、勝気な眉も下がって、その頬の柔らかなラインも合わせて年齢以上に幼く見える。
こいつ、こんなに可愛かったんだな。
形のいい鼻の頭を指先で撫でながら思う。
整った容姿は綺麗とも表現できるが、自分からしてみればやはり可愛いと表現するのが一番適当だと思う。それは年齢のためではなく、もっと意識的な理由によるものだろう。どうしようもなく、この腕の中の存在が愛しいと思う。今朝コイツが訪ねてきた時には思いも寄らなかった気持ちだけれど。自覚して覚悟を決めてしまえば、もう戸惑ったりはしない。
「こんなヤツに俺が堕ちるとはねぇ…」
「…こんなヤツってどんなやつでさァ」
思いもよらない声が聞こえてきて、内心少し驚いた。
「あれ、起きてたの?」
「あんだけ触られりゃ誰だって起きやすよ」
無意識に顔中を触りまくっていたらしい。欠伸交じりの声は、僅かに擦れていてドキリとした。それは寝起きのせいだけじゃないはずだ。
腕の心地よい重みがなくなっていく。ゆっくりと状態を起こした沖田は、どこか痛むのか、片目を眇めた。
「大丈夫か?」
「…っつ。大丈夫かって、誰のせいだと思ってんでィ…ったく」
「銀さんのせいかな?ほんとすんませんでした!」
背中に腕を回して介添えしてやりながらも、頭を下げる。これはもう申し開きも何もなく、こちらに非があるのだから。
「…謝るくらいならやんな」
「いや、謝ってんのは傷つけちまったことで、ヤッたことについては後悔してねーから」
そうなのだ。風呂場で辛抱堪らなくなって、沖田を抱いてしまったのだ。
嫌がる沖田を無理やり、というわけではなく、なんだか訳の分からない沖田をそのまま快楽に引きずり込んで気付けば…、という感じで。当然、これはこちらの見解で、沖田からすれば無理やりという形になるのかもしれないが。だが、戸惑って嫌々することはあっても、強い拒絶は感じなかったというのが正直なところで、かといって慣れているようには見えなかったし、沖田がどう思ったのかは、気持ちの確認をする余裕がこちらになかったので、わからずじまいだ。
ともかく、風呂場での情事で意識の朦朧とした沖田を運び出して、着替え用に用意しておいた寝巻きを着せてそのまま布団へ潜り込んで今に至る、という次第だ。布団に入って沖田はすぐに寝てしまったし、自分も多少は夢の中にいっていた気がする。目を覚ましたあと、もしかして今日一日の出来事が全部夢だったんじゃないかと思ったが、沖田のずれた袷から覗く肩先の歯形を確認して、現実だと思い直した。
楽な体勢に落ち着いた沖田は、何か考えるように顔をうつむかせて、ぼそりとつぶやいた。
「アンタは後悔してねーんですか」
「してねーよ。同意を得なかったことについては、自分でも最低だと思うけど」
その点については本当に反省している。
「…なんで」
「うん、なんかね、沖田くん見てたら銀さんのムスコがね、元気になっちゃって」
うつむいたままの沖田の表情は、髪に隠れて伺うことは出来ない。
「あり得ねぇ」
「俺も最初そう思った」
それでも、自覚してからはなーんだって思ったのだ。だからといってあの場でヤルつもりはなかったのだけど、コイツが可愛らしい声を出したら、どうしようもなくなってしまった。
「アンタノンケじゃなかったのかよ」
「ノンケだよ」
「俺は男でさァ」
「男だねぇ」
「…わけわかんねぇ」
「わかんねーかな」
「わかんねぇよ」
押し問答が続く。このままだとずっと言葉の繰り返しが続きそうだったので、踏み込んで答えてみようか。
「沖田くんは特別なんだってことなんだけど」
一瞬、沖田が押し黙る。そして、うつむいていた顔を僅かに上げて、半目でこちらを睨むようにして低い声を出した。
「そりゃ俺が女顔ってことかィ」
「あ、自覚あったの」
無言で沖田の拳が鳩尾に向かってくる。ものすごい速さのそれに、慌てて直撃だけは避けたが、防いだ腕がかなり痛い。こりゃ確実に痣になるな。
「怖っ!って冗談!冗談だから」
続けて二発三発と繰り出してくる拳を必死で止める。どれだけ顔にコンプレックス持ってんだ。沖田はこちらの思惑とは相当ずれた理解をしてくれたらしい。
「そーじゃなくてだな、アレだよアレ」
「だからなんでィ」
「男とか女顔とか関係なく、沖田くんだからってこと」
「……」
まだわからないのか、沖田は眉をひそめている。首を傾げた仕草が可愛い。
「だからなー、うん」
「はっきりしなせェ」
「銀さん、君に惚れちゃったみたい」
言い終わると同時に、触れるだけの接吻をひとつ。
間近の沖田を見やれば、大きな目を更に大きく見開いて、どうやら頭の中が真っ白状態に陥っているようだ。しばらくそのまま観察していると、徐々に瞳の焦点が合ってきて、それと比例するように白い頬が赤く上気していく。
至近距離で目が合う。と、沖田は口元を片手で覆い、パッと目をそらした。逸らす一瞬前の沖田の顔は、それはそれは真っ赤で。
「……っ!」
なんだこいつ。超可愛い。
思わずこちらも照れてしまう。
「言うのが遅ぇんだ」
「順序が逆になっちまったな」
「さいてー」
ムスッと顔を背けて怒ったように見せているけれど、髪の間から覗く耳や首元が、窓から差し込む街燈に照らされて、浮かび上がるように赤くなっているのがわかるから、どうしても口元が緩むのを止められない。
「返答は?」
「…旦那のことは、嫌いじゃないし、その、嫌じゃなかった」
「うん」
「たぶん、好き、なんだと思う」
「たぶんてなんだよ」
「まだよくわかんねーんでさァ。だから、もうちっと待ってくだせェ」
一生懸命考えながら答えてくれる沖田に、やはり頬は緩む。そのいじらしさに思わず苛めたくなってしまうが、この辺で勘弁してあげようか。
この恋は始まったばかりだし、な。
まるで青春真っ盛りの若者みたいで少々気恥ずかしいが、今更気持ちに嘘をついてもどうしようもない。たまには正直に生きるのも悪くないだろう。
「ありがとうな」
きょとんとする沖田が可愛くて、その身体を思い切り抱きしめる。
「だ、旦那ぁ!?」
腕の中に包まれた一回り小さな身体を十分に味わう。どうしようもなく湧いてくる愛しい気持ちは本物だ。しばらくすると、だらりとたれていた沖田の腕が戸惑いがちに背にまわされる。温かい手の感触を十分に確かめてから、その身体を離した。
「さてと、飯でも食うか」
腹減っただろう?と尋ねれば、沖田はいつもの生意気な表情で返してくる。
「旦那が作ってくれるんでしょう?」
「おう、任せとけ」
それでも、僅かに残った頬の赤みが、照れ隠しのように感じて。
「可愛いねぇ」
「黙りなせェ」
台所に向かう足取りは軽く、俺は幸せを噛み締めた。












今日は、そうだ

とっておきの唄でも

うたおうか















おわり。






銀沖馴れ初め?
ヘタレ銀さんでごめんなさい…。
銀さんは本当はもっと余裕がある人だと思います。
私が書くとこうなっちゃう。
タイトルは思いつかなかったのでバンプの曲からお借りしました。

<2007年8月7日>