梅雨期特有の息苦しい空気に晒させながらふらふらと立ち寄った駄菓子屋で、珍しい顔を見かけた。

「あ、ゴリラが餌あさってる」
「ちょ、え、何。口開いた途端それって何!?ゴリラは森に帰れってかー!!」
「あ、そうそう。気兼ねなく森へお帰りくださーい」
「ひどくね!?マジひどくね?マジいじめじゃね??」
「いやいやこれ親切心だよホント。ここ駄菓子屋。人間の食べ物売ってるとこだからね。そんなに人間社会で暮らしたいなら八百屋行けや八百屋」
「酷っ!差別!?ゴリラ差別だろそれ!!ゴリラだってな、人並みの生活したいんだよ!」

うおーんと豪快に泣きわめきはじめたデカイやつのせいでこの周囲の温度が5度くらい上がった気がした。なんだってこんなやつに声を掛けてしまったのかと悔やむが、たぶん全てはこの暑苦しい空気のせいだ。

思考も何もかもおかしくなってしまいそうな蒸し暑さの中、僅かな光を求めてアイス売り場に駆け寄る。年季の入ったチャチい冷凍庫が今は救世主に思えてくるから不思議だ。

「ばーさん、一個もらうぜ」

店の奥の畳部屋で扇風機の人工的な風に当たりながらテレビに夢中になっている店主に一声賭け、少ない種類の中から好みのアイスを取り出すと夢中で頬張る。

あー生き返る!

この瞬間ばかりは、自分はこの60円アイスを食べるために生まれてきたのではないかと思えてくる。それほど至上の瞬間。

が、それを邪魔したのはこの空気よりも更に暑苦しいゴリラだった。

「おー、上手そうだな。それもいいなぁ」
「ぁあ?なんだおめーまだいたのかよ。早くしねーと生ゴミ収集車行っちまうぞ」
「いつの間にかゴリラ通り越して生ゴミ!?」
「あーうっせーマジうっせー用がないならさっさと出てけよ暑苦しいから」
「いや、用ならめちゃめちゃあるんですけど!この手にあるの見てわかんない?俺客なんだけど、酷くない?」

確かにゴリラの手には抱えきれないほどの駄菓子の数々。さすがにやつあたりしすぎたかと思い、虐げる言葉の数々を口にするのは止めてやろうかと思い直す。

「でも珍しいんじゃねーの?俺ここの常連だけど、アンタ見たの初めてだぜ」

同じ黒尽くめでも、ミルクティー色のあの子ならしょっちゅう見かけるけど。
店先のベンチに横になって昼寝を貪る見慣れた姿を思い浮かべる。奇妙なアイマスクをつけて悪態をつくその子とのやり取りは半ば日常と化していて、思い出せば自然と笑みが浮かぶほどだ。

そういえば今日はあの子見掛けないな。

そんなことを思っていると、今当に胸中を占めていた人物の名前が目の前のやつから発せられて、ドキリとする。

「これは総悟のだからな」

「え」

意外な台詞にポカンとする俺を尻目に、近藤はクーラーボックスの扉を開けてアイスをごそごそと漁っている。
「あーでもコレ帰る頃には溶けちまうかな」
おばちゃん、ドライアイスあるー?なんて奥のばーさんに尋ねている近藤に、ンなもん駄菓子屋にあっか!なんつーツッコミも入れられず、俺は未だにヤツの口から発せられた名前に動揺していた。

「なんだーないのか。ンじゃぁアイスはなしだな。しょーがねぇ」
手に取っていたアイスの数々を元に戻し、再び駄菓子に目を向けた近藤は、聞きもしないのに勝手に話し始めた。

「総悟は昔から駄菓子好きでな。田舎の道場主やってたって金なんてあるわけじゃなかったから、出稽古で街に出た時にわずかっぱかしの小遣いしかやれなかったけど、そうすっと総悟はいつも喜んで駄菓子屋に行ったもんさ。一生懸命選んでるの見るとかわいくってなぁ。そんなこと思い出してたら無意識に足向いてたんだよ」

「……あぁ、そーなの」

緩みきった顔で話す近藤が選ぶ駄菓子は、よくよく見てみれば、いつもあの子が好んで食べているものばかりで、ああ、あの子のことを知っているのは自分だけじゃないんだと思い知らされる。

自分とあの子とのつながりだと思っていたものが、実はそんなものちっぽけなことで、彼らが培ってきたものと比べればほんの僅かなものでしかないと。
他者の入り込めない二人だけの絆を見せ付けられたような気がして。

ああ、面白くない。

「お宅も大概過保護っつーか、甘やかしすぎだよね〜」
訳の分からない悔しさにせかされて、年甲斐もなく拗ねたような台詞を口にしてしまって後悔していたら、
「いや、今日は総悟の誕生日だからな。別にいつも買ってやってるわけじゃないんだぞ!」
なんていう返事が返ってきて、一瞬言葉が消える。

「……は?」

マヌケな声で聞き返せば、返ってきたのは更なる強調。

「今日は総悟の誕生日だから特別なんだよ」
「……」

「え、いやいや違うよ?アレだからな、別にコレがプレゼントってわけじゃねーからな。プレゼントはちゃんと別に用意してあるんだけど、ちょっと目に入ったから駄菓子でもってことだからな!!」

こちらの沈黙を何か勘違いしたらしい近藤がわめいているのを放って、食べ終わったアイスの棒を店先のゴミ箱に放り投げて歩き出す。

「ちょ、今度は放置プレイ〜〜!?」

ゴリラの咆哮が遠くから聞こえてきたような気がするが、気にしない。






自分は重要な情報を聞いた気がする。
これって何。なんかしないとまずい感じだろ。
いやでも何もねぇよ。
つか、当日ってないだろ。今日聞くくらいならせめて一昨日に聞きたかった。したら昨日の七夕のあとマダオとなんて呑み屋なんかはしごしなかったのに。

悪態をつきながらも、頭に浮かぶのはあの子の顔ばかり。

見たこともないあの子の喜ぶ顔が浮かんだりして、自分の余計な想像力が恨めしい。

あの子をそんな顔にすることなんて、どうやったら自分にできるというのか。






色々とこんがらがってる頭をほったらかしに、足は勝手に動き続ける。
向かった先は、歌舞伎町に一店しかないスーパー。

生クリーム売り場へと向かう途中に目に飛び込んできたのは、特売のマヨネーズを大量にカゴに放り込むジミーなヤツの姿。
地味すぎて名前が浮かんでこないから、適当にジミー(仮)とあだ名をつけておく。
そのジミー(仮)もこちらに気付いたようで、軽く会釈をしてくる。

「万事屋の旦那じゃないですか。こんにちは」
「おう、久しぶりだなジミー(仮)」
「なんですかその『ジミー(仮)』って!?ただジミーって言われるよりも更に貶められてる気がするんですけど」
「いやー、お宅も大変だねぇ。そんなに買い込んで、上司メタボで死に至らしめる作戦ですか、嫌がらせも地味だなぁオイ。そんなんじゃ大成しねーよ?」
「いや、嫌がらせじゃないですから、その上司に頼まれて買い込んでるんですよむしろ俺が嫌がらせされてるんですけど!てか、地味地味って、俺だって好きで地味キャラやってんじゃないんですからね!!」

ぺちゃくちゃと文句をたれるところは、さすが局長が局長だけに同じ組織に属していれば隊士も似るらしい。

「全く、副長にも困ったもんですよ。マヨ切れたからって逆ギレして。自分で補充しとかないのが悪いんじゃないですか。俺にはコレを無事屯所に持ち帰るっていう大事な使命があるってーのに」

そう言ってジミー(仮)が示したのは、大量のマヨに埋もれた大きな箱。
別の店で買ってきたものなのだろう、すでに包装紙に包まれている。

てか、その形状にはものすごく見覚えがある気がする。
もしかしなくても、恐らく。

「今日は沖田隊長の誕生日でしてね、予約しといた特大ケーキ受け取りに行ってきたんですよ」

「……ああ、やっぱりね」

「え?やっぱりって。あ、ちょっと旦那?」

思っていた通りのその中身に、ジミー(仮)の返事を聞くまでもなく踝を返す。

そうだよな。ケーキなんて、既に用意していて当然だろう。
わざわざ俺が作る必要なんてこれっぽっちもないわけだよ。

そそくさとスーパーから離れて、ため息をひとつ。




一体自分は何をしたいのか。

あてもなく歩いていく。
それでも家に帰ろうと思わないのは、一体何故だろう。


スーパーを出てから、変なやつらを何度となく見かけた。
いかにも贈り物です的な包みを持った黒い制服姿のやつらは数え切れないくらいだったし、中でも、ぷかぷかと有害煙を撒き散らしながら歩く瞳孔開いたヤローまでが可愛らしいリボンで飾られた包みを持って歩いているのには正直有り得なさ過ぎて鳥肌が立った。なんつーか、引いた。キモくて。


そんな風に、いつも以上に黒尽くめのやつらがうろうろしているというのに、肝心のあの子だけがどこにもいない。


いつもなら望まなくても俺の前にその可愛らしい姿を見せるのに。








気付けば街外れの河原まで来ていた。
日は沈みかけているのに、蒸し暑さは相変わらずで、焦りと混じっていらいらし始めていた。

「あれェ?旦那じゃねーですかィ」

自然と早足になっていた俺を呼び止めたのは、聞き覚えのあるのんびりとした抑揚のない声。振り返れば、思ったとおりの子が小首をかしげてこちらを見ている。

「そんなに急いでどーかしたんですか?」

いつも通りの無表情を貼り付けて近づいてくるその子に、はーっと大きく息を吐いた。
まさか今日一日君のことで頭がいっぱいでしたとは言えず、手を伸ばせば触れられる距離まできた沖田くんから微妙に目を逸らし、カリカリと頭をかく。

「いや、別に」
「…ふーん」

大きな目をくりくりさせて見上げられると、どこか落ち着かない。

「沖田くんこそ、何してんの」
「寝てました。暇だったんで」

愛用のアイマスクを人差し指でくるくると回しながら答える沖田くんは、なるほど今日は休日だったのか見慣れた隊服姿ではなく、私服だ。とはいっても、この子は仕事中だって平気で昼寝ぶっこくサボリ魔だから、休日も何もあったもんじゃないだろうけど。

「公務員はいいねェ。休み多くてさ。銀さんなんて自由業だから休日なんてあってないようなもんだよ」
「そのかし毎日が開店休業みたいなもんなんでしょ。羨ましーや」
「いやいやそんなことないよ。こう見えて結構万事屋繁盛してんのよ?」

「ああ、こないだ二世連れてましたもんねィ。子作りに励めるほど余裕があんじゃぁさぞかし経営も順調なんでしょーね」
どこか汚いオトナを見るような眼で見られて、焦る。

「いやいやいやいや、アレ違うよ。違うって言ったでしょ!?あの子銀さんとは赤の他人だから!!」

必死で取り繕う姿が面白かったのか、沖田くんは滅多に見せない自然な笑いを浮かべていた。よほどつぼにハマったらしく、しばらくしてもまだクツクツと笑いをこらえている。あ、肩まで震えてら。

「旦那ってホント面白いお人だ」
「……え、あぁ、そう?」

なんか無性に照れくさくなってきた。一回りも年下の男の子相手に一体何をしているのか。今日何度も浮かんだ疑問に答えは容易に出ない。でも、それが不思議と嫌ではないから困ったものだ。

「つーかさ、沖田くんは帰らなくっていいの?」
「え?」
「皆待ってるんじゃねぇの、君の事」
「なんで…」
「んー、さっきお宅の局長サンとかジミーくんに会ってさ」

自分でふっておきながらはっきりとは言いづらくて、遠まわしに言えば、沖田くんにもわかったようで、はーっと大きく息を吐いた。

「あの人たちは口が軽くていけねぇや」
「何、秘密事項なわけ?銀さん知っちゃまずかった?」
「いや、違いますけど…」

沖田くんは困ったように肩をすくめている。

「いいじゃねーの。皆に愛されてて」
「そーじゃねぇです。皆酒呑んで騒ぎたいだけでさァ」

「そーかねぇ」
「そーですよ」

「でも今日休みなんでしょ?」
「まあ、あの人たちはバカですから。この日は何故かいっつも非番なんでさァ」

そう言った沖田くんの表情は、とても柔らかかった。
細められた大きな目が可愛らしくて、無邪気で幼く感じられて、この子の実力を知っていても、庇護すべき存在と認識してしまいそうになる。

「バカ、ねぇ」

ああもう。ゴリラに対して抱いた嫉妬心も、ジミーや大串君やその他大勢の真選組のやつらに湧き上がった敵愾心も、何もかもどうでもよくなってくる。

この子がこんな顔してるなら、俺が何を思ったって仕方ねぇじゃん。
沖田くんが幸せそうにしてるなら、それでいいじゃん。
それをさせているのが自分ではないのがやっぱり少しは悔しいけれど。
その上で俺に出来ることがあればすれば。

それだけできっと。


「そろそろ時間なんで帰りまさァ。遅くなるとみんなうるせーから」
「ん、そーだな」

気付けば日は完全に沈んでいた。
さっきは赤い日に照らされていた沖田くんの顔も、今は月明かりにぼんやりと浮かび上がるくらい。

ああ、そういえば。昨日は曇りで天の川も何もあったもんじゃなかったけど、今日は。

「月がきれーだね」
「ええ。ま、今日も星はあんま見えねぇですけどね」

月が主張する空は、星々がその存在を誇示するには条件が悪すぎる。


ゆっくりと歩き出す沖田くんについて行く。

「旦那はどっか行く途中じゃなかったんですかィ?」
「いーんだよ。用事はもうすんだからな」
「はぁ」

小首をかしげる沖田くんに、「途中まで送ってくよ」と告げて歩みを進める。

空を見上げたり他愛もないことをぽつりぽつりと話しながら歩いていると、あっという間にあとひとつ角を曲がれば真選組屯所という場所まで着いてしまった。万事屋はさらにその先にある。

自然と歩みが止まり、横を向けば沖田くんもこちらを見上げていた。

「旦那、送ってくれてありがとうございました」
「…どういたしまして」

雲の欠片に月明かりが途絶えて、すぐ近くにいる沖田くんの表情すらわからない。


「今日旦那に会えてよかったです。会いたいって、なんか思ってたから…」


だんだんと語尾が擦れていくような、そんな言葉。
言われた言葉をうまく消化できずにいる俺に、

「ほいじゃ」

と告げて、沖田くんは早足に角を曲がって行ってしまった。

去り際、再び降り注いだ月明かりに照らされた沖田くんの頬は、気のせいだろうか、赤く染まっているような気がした。

「沖田くん!」

慌てて呼び止めると、沖田くんは足を止めてくれた。数メートル先で無言の後姿が返答を待っている。そのしなやかな背中に届くように、真摯に。


「プレゼントは俺なんてどう?」


「……」
「……」

「……はぁ!?」

しばしの沈黙の後、素っ頓狂な声を上げたのは沖田くんだった。こちらを振り返って、表情は伺えないけれど、きっとあっけにとられたような顔をしているんだろう。

でも驚愕しているのはこっちも同じだ。
まさかこんな、一日歩き回った結果が、バカップルのチャラけたバカ台詞のようなもんだとは。そんなことを口走った自分にも驚きだが、言ったことを後悔していない自分にはもっと驚いている。

こんな贈り物じゃ、沖田くんを想像したような顔にさせることなんてできやしないだろうに。

それでも、冗談にとられては困る。

笑っちまうくらい、本気なのだから。


数メートルの距離を、今度はこちらからつめていく。
徐々に見えてくる沖田くんの表情は、やはり驚きに支配されていて、この子をこんな表情にさせることってなかなかできないよな、と思うとちょっと嬉しい。
ほんとはもっと違う表情に変えさせたかったけど、それでも今はこれで十分じゃねぇか。

「いい物件だと思うよ。三食昼寝付き、今ならもれなくイチゴ牛乳とパフェも付いてまーす」

ついでに銀さん特製宇治銀時丼もつけるよ、というと、いやそれはいらねぇです、と即答されたけど。

「残念、返品は不可だから」

「ぷっ、なんですかィ、そりゃァ」

沖田くんは可笑しそうに笑っていた。
するとこっちも緊張がほどけて笑えてくる。

ああ全く。俺もほとほとヤキがまわってる。

そんでもって。



「ありがたくもらっときまさァ」



そう言って、一回り小さな白い手で俺の手を握ってくるその子も、きっと人生終わっちまってる。



だって俺なんかを選んじまったんだ。
なんて愛しい喜劇だろう。



とりあえず。

まだ伝えていなかったこの言葉を君に。




「誕生日おめでとう、沖田くん」











present from you


おかしいな、君にあげたはずなのに。
気付けば最高の笑顔の君が、最高の贈り物。








2008年7月8日
沖田くんお誕生日おめでとう!