七月八日。

姉上がいなくなってから初めての、誕生日。









ラストレター











誕生日には、毎年ミツバがケーキを焼いてくれていた。
それは辛党の彼女好みのケーキで、甘さよりも辛さの勝る不思議なケーキだったが、質素な生活をしていた子供の頃には滅多になかった贅沢品で、とても嬉しくて喜んで食べていた。
味についても、総悟にとっては物心つく頃から食べていた慣れたものなのでおいしいと思っていたし、辛いケーキというものが普通はあり得ないということに気付いたのは江戸に出てきてからのことだ。
そういえば、近藤さんや土方さんが姉上特製ケーキを目にして顔を青くしていことがあったことなあ。
懐かしい記憶は総悟に自然と笑みをもたらす。

江戸へ出てからは、流石にケーキはなかったが、ミツバは誕生日に合わせて夏物の着物を縫って送ってくれたし、当日には受話器を通して鈴の鳴るような声で「おめでとう」と祝ってくれた。

それは総悟にとって掛け替えのない習慣で、当然のこととしてこれからも続くものだと思っていた。



去年、ミツバを亡くした。



ひとりきりになって初めての夏。
祝ってくれる家族はいない。









七月八日、日曜日。当日。
記念日だ日曜だ、という理由で隊務がなくなることはない。
総悟はいつも通り常勤の仕事をこなしていた。
だが、夜勤の隊士を除いて、夕方から隊士を集めて大規模な誕生会を開いてくれることになっていた。
正しくは誕生会という名の宴会なのだが。
毎年一番隊の隊士や幹部連中で内輪のパーティーもどきを開いてはいたが、こんな大掛かりなものは今までなかった。
大方土方あたりが下手な気を回して山崎あたりが実行に移したんだろう。
なんだかんだいって余計な気ばかりは人一倍回る人だから、と総悟は思う。
近藤も最近はいつも以上に気遣わしげに声をかけてくれる。
誕生日には何でも買ってやるぞ!と気前たっぷりにいうので、じゃあ禁断の外法の書が欲しいでさァ土方さっさと殺らねーと、と答えたら、それは駄目ェ!と一蹴されたのだけれど。

みんな優しい。

近藤や土方だけでなく、同僚や部下も。
皆総悟に優しい。

そう思いながらも、届くはずのない贈り物を待ちわびる自分のなんと愚かなことだろうか。
携帯を開くたびにあるはずのない履歴を確認してしまう自分に舌打ちをしたくなる。
あれだけ泣いて、時間の助けも借りながら整理をつけたと思っていた姉への思いは、やはり容易になくなるものではないらしい。

当然か。
それを辛いと思う一方、忘れていない自分に安堵をしていることに総悟は気付いていた。





夕方から始まった誕生会は、初めの頃は総悟の周りに代わる代わる隊士がやってきて祝いの言葉やちょっとしたプレゼントを置いていったが、酒が進むに連れて主役がどうのは関係なくなり、日が完全に暮れた頃には既に大半が正気を失っていて、もはや目的も何もわからない宴会と化していた。

無礼講となった誕生会を抜け出し、総悟は屯所近くの川べりを当てもなくぶらぶらと歩いていた。

繁華街からは少し離れた場所にあるここらには、まだ自然が数多く残っていて、整備されていない河原はどこか故郷の景色を思い出させる。
武州には海がなかったので、夏になるとしょっちゅう川へ出かけては水遊びをしていた。
びしょぬれになりながら川魚を追いかける自分、河原の大きな岩に腰掛けながらふわふわと笑うミツバ。
あまり身体は丈夫ではなかったミツバは総悟と一緒になって川に入ることはなかったが、総悟が獲った魚を見せれば、すごいわそーちゃん!と手放しで喜んでくれたし、一緒に沢蟹を探して泥だらけになったこともある。

あれはいつの頃の記憶だろう、と総悟は思考をめぐらす。
まだ近藤さんに会う前かもしれない。ああでも出会ってからも二人で出かけることはあったから、近藤さんに会ってからの記憶も混ざっているかもしれない。
おぼろげな記憶の中で、いつもあの人は微笑んでいた。

父の顔も母の顔も覚えていないけれど、それでも寂しくなかったのは、いつでもあの笑顔と優しい手が差し伸べられていたからだと思う。


「恩返し、したかったなぁ…」


「誰に?」


空中に向かってつぶやいた独り言に思わぬ返事が返ってきて、驚愕する。後方から降ってきた声に振り返ると、そこには暗がりに浮かび上がる見事な銀髪があった。

全く気配がしなかった。
多少ぼんやりしていたのは事実だが、ここまで近づかれて気付かないなんて。
なんてお人だ。
総悟は悔しさよりも感嘆の気持ちが湧くのに気付いて苦笑した。

「旦那…こんな時間になんの用ですかィ?」
「ん〜ちょっと依頼でね」
「お仕事ですかィ?こんな時間までご苦労様でさァ」
「いえいえ。そういう沖田くんこそ何してんの?仕事じゃないでしょ」
私服だし。
銀時は袴姿の総悟を指差しながら問う。
「ちょいと酔い覚ましに」
「主役が抜け出してもいいわけ?」
「え?」
「さっきキミん家の前通ったら、ゴリラが『そーごーっ!誕生日おめでとうなーっ』ってドでかい声で叫んでるのが聞こえたからさ」
大方誕生会でも開いてたんでしょ。
的確な銀時の指摘に総悟は苦笑するしかない。
「誕生会っつーか、もはや宴会ですけどね。うちの連中騒ぐの大好きなんでさァ」

「で?主役がこんなとこで黄昏てんのはさっきの独り言と関係あんの?」

「ほんと…」

するどいお人だ。

この人には敵わない、と総悟は思う。
隠し事も心の中も全て覗かれている気分になる。
自分はあまり人に内心をさらけ出すのは好まないと総悟は自覚している。それなのに、銀時に対する時は自分の全てを明かされそうになるというのに、不思議と不快感はないのだ。

暫く静寂があたりを包んだ。
口をつぐむ総悟に、銀時も急かすことはなく、ただそこに佇んで無限に変わる川の流れを見つめていた。
サラサラというせせらぎにまじって、総悟が控えめに声を発した。

「ここは…武州になんとなく似てるんです。昔遊んだ河原を思い出しやしてね。
 なんか、落ち着くんでさァ」

ちょっとばかし感傷的な気分に浸りたい時はここに来るんです…。

沖田は続ける。

「武州は山とか緑ばっかでなんもねぇ田舎だったけど。
 でもね、そんな景色が大好きだって、言ってたんです」

誰が、とは言わなかった。

銀時も聞かなかった。

ただ、一言、「…そっか」とだけ。


微かな風に誘われて視線を動かせば、穏やかな顔の銀時と目が合った。
底知れない目だと思う。そして、深い目だとも。
不思議と安堵をもたらすその瞳は、ミツバの瞳に似ているかもしれないと、漠然と思った。


「沖田くんは何歳になったの?」
目線をそらさないまま、銀時は尋ねてくる。
「19、です」
「十代かぁ。若いねぇ。まだまだこれからじゃん。人生の甘いも苦いも、ね」
「年寄りくさいですねィ。旦那だって世間的に見りゃなだ若い方でしょうが。俺から見りゃオッサンですが」
「ンだとコラ。あのね、言っとくけど今のうちだけだよ?若さを誇ってられるのなんてほんの一瞬だから。あっという間にオッサンだから」
必死に反論してくる銀時に、思わず笑みが漏れる。
ほんと、面白いお人だ。

「お、笑ったな。沖田くんも自然に笑えるじゃん」

えらいえらいとまるで小さい子供に対するような対応にムッとして言い返そうとした総悟の口内に何かが放り込まれる。

「っ!?な、なんでさ」

「銀さんからの誕生日プレゼント」

口の中に広がる人口的な甘い味と香り。
それは頬が膨れてしまう程大きな飴玉だった。

「…どー、も」

甘酸っぱいストロベリィの味は、懐かしさと温かさを運んできて、溢れる思いにうまく言葉が継げない。

「さてと。いい加減帰んねーと日付が変わっちまうよ。
 ゴリや多串くんも心配してんじゃねーの?」
「まだまだ甘いですぜ。ああなったらオールが常ですからねィ」

でも、もう帰ります。

少しだけ小さくなった飴玉を転がしながら踵を返す。

「旦那、ありがとうございやした」

既に土手を上りはじめている背中に向かって言葉を発する。
銀色の髪を煌かせた背中は、振り返らずに片手を挙げて応えた。
土手を上りきると、ひらひらと手を振っている銀時に同じように手を振って応えてから、背を向けて歩き出す。

2、3歩歩いたところで、「あ」という間の抜けた声がした。
「沖田くんさぁ、家のポストになんか入ってたみたいだよ」
足を止めて振り返ると、背を向けていたはずの銀時はいつの間にか振り返ってこちらを向いていた。
「ポスト、ですかィ?ザキの野郎取り忘れたのかな。締めとかねーと。わざわざすいやせん」
「ちゃんと見てね」
「?」
念を押すような銀時の言いように疑問が湧くが、それを問う暇もなく銀時は再び背を向けて歩き出していた。





のんびり歩いても数分で屯所に着く。
言われたとおりポストを見れば、なるほど確かに一通の手紙が忘れ去られたかのようにポストに挟まっていた。

近づいて手に取ろうとした総悟の動きが止まる。
月明かりに照らされたその手紙は、淡い浅黄色をしていた。

それは、彼の愛する唯一の家族が日頃好んで使っていた色。
何度もした手紙のやり取りでも多く用いられていた。


まさか、と思う。
そんなはずはない。

だって…。

あの人はもう、――いない。


自分に言い聞かせ、総悟は直前で止まった手を無理やり再機動させる。
自分の手がまるで機械仕掛けにでもなってしまったかのように、ギクシャクとしか動かない。
震える手をなんとか奮い立たせて手にとったその手紙からは、まるで今その人がしたためたかのような温かい感情が流れ込んできた。

「…あっ――」

総悟は一瞬の躊躇の後、走り出した。
わき目も降らず一直線に駆け抜ける。
庭を回って、自分に宛がわれている一部屋に駆け上がり後ろ手で障子を閉めた。

「ハァハァ…っ」

大広間の喧騒も総悟の耳には入らない。

ただ、心を占めるのは…。


息を整えながら部屋の中心へ歩み出て明かりを灯すと、綺麗な水色の和紙が浮き上がった。

差出人の名前はなかった。
宛先に、『沖田総悟様』とだけ書かれた手紙。

だが、総悟にはこれを書いた人物が痛いほど解っていた。
この流れるような静かな筆跡の人物を知っている。


「あ、あ…」


姉上―――。


膝を折り、震える手を叱咤して慎重に封筒を開いていく。
中には便箋が一枚入っていた。
見慣れて優しく美しい文字が並ぶ。


「姉、上……っ、おねーちゃん!」


ぽたぽたと、大粒の涙が溢れた。
視界がにじむ。涙は拭っても拭っても溢れて止まらない。
決壊した涙の粒は浅黄の手紙にいくつもの染みを作った。



『暑い日が続いていることと思いますが、如何お過ごしですか。

辛いことはないですか?楽しいことや嬉しいことはありましたか?

私はもう見守ることしかできないけれど、貴方の側にはとても温かい人たちがいることがわかったから、安心していられます。
これからも貴方の行きたいように生きればいいわ。

おねーちゃんはいつでもそーちゃんの味方です。


お誕生日おめでとう、そーちゃん。
生まれてきてくれてありがとう。

これからもずっと、そーちゃんは私の自慢の弟です。


大好きよ。


 七月八日      沖田ミツバ


沖田総悟様


尚々、風邪などひかない様に。暑いからといって窓を開けっ放しにして寝たりお腹を出して寝たりしては駄目よ』




「……っ、子供じゃないんだから…腹、出して寝たり、しませんよ」

姉上はいつまでも僕を小さい子供だと思ってるんだから。僕、これでも寝相はいいんですよ。


まるでミツバが今目の前で微笑んでいるような、大好きな温もりに触れているような気がして、堪らなかった。
頑是無い子供のように大声で叫びたい、この思いをぶちまけて大好きな人に笑いかけたい。
喪失感と一瞬の満足感と、それらを凌駕するほどの温かい思いを。



「姉上…っ、僕は――」



姉上の弟に生まれてこられてよかったです。
父上にも母上にも感謝します。
僕は…俺は、姉上を困らせるばかりで何も出来なかった。
大好きな姉上の幸せを願うことができなかった。
育ててもらった恩を返すことができなかった。
こんな不甲斐ない弟を自慢だと言ってくれた姉上のためにも、俺は精一杯生きます。
決して胸を張れるような人生ではないけれど、笑って姉上に迎えてもらえるように、姉上の弟として生まれたことを誇りに生きていきます。
見守っていてください。

ありがとう、おねーちゃん。


俺も、大好きです。





遠くから喧騒が近づいてくる。
自分を呼ぶ声が。
だんだんと強くなる酒の臭いとタバコの臭いに促されるように、総悟は顔を上げた。
丁寧に浅黄の手紙を折りたたみ、文机の引き出しを開ける。
「姉上の言うとおり、俺の周りにはしつこいくらい構ってくるヤツがいっぱいいるんで、仕方ないんで行ってきます」
引き出しに仕舞いかけた手紙に話しかけてほんの少し指先で触れてから、ゆっくりと引き出しを閉めた。
「そーごー!どこいったー!」
聞きなれた大きな声に笑みが漏れる。
皆、本当に優しい。

「いま行きまさァー!」

声を張り上げてから立ち上がって部屋を後にする。

あとで旦那にパフェでも奢らねぇとな。

ひとりごちながら、総悟の足は次第に早足になっていった。





















そーちゃん、お誕生日おめでとう。
去年の小袖、もう小さくなってしまったでしょう?
また新しく縫っておいたから、着てね。
え?袖が長すぎたって?
いやだわ、寸法間違えたかしら。
ああ、でもそうね、またすぐ大きくなるから丁度いいわ。
そーちゃんは男の子だからきっとまだ背が伸びるわよ。
そんなことないわ。だってお父様だって背が小さかったわけじゃないもの。
そうそう、風邪ひいていない?
そーちゃんは昔から風邪ばかりひいていたから。
きちんと窓を閉めてお腹を仕舞って寝るのよ。
夜更かしとか、しないようにね。
ふふ、そうね、そーちゃんももう子供じゃないものね。

それじゃあ、



――またね。













2007年7月8日
そーちゃんお誕生日おめでとう!