夏陰
血を吐いた。
久しぶりの討ち入りで、上から斬捨て御免の許可が出たデッカイ仕事だった。
斬りこみ隊長として先頭きって討ち入って、久しぶりに加減も遠慮もなく刀を奮って、あらかたの攘夷浪士を捕まえて一息付こうとした時だった。
近頃癖になりつつある空咳が出始めたのは。
交戦中に、いつもは感じない身体の重さや息切れを感じていたのは確かだった。体調が優れないのも熱っぽいのはよくあることだったし。
最近自重してあまり暴れてなくて、ちょっと張り切りすぎていたのかもしれない。
そう思い込ませようとしていた。
だが、普段ならすぐに止まるはずの咳が止まらない。
ゴホゴホと次第に酷くなる咳に、近くに居た土方さんが気付いて、「オイお前大丈夫か」と背中をさすってくるから、平気だ、と答えようとした。
しかし、声は出なかった。
声を発しようと口を開いた途端、胸の奥から何か熱いものが込み上げてきて、堪える間もなく大量の熱い液体が口から溢れた。
何が起きたかわからなかった。
俺の目に映ったのは、真っ赤な血だった。
その後は覚えていない。
俺はそのまま昏倒したらしく、気付いたら屯所の自分の部屋の布団の上だった。
「暇ァ…」
布団の上に御座を掻いて部屋の前に広がる中庭を何とはなしに見やる。
中途半端に開いた障子の隙間から見える庭は、どうしようもなく狭くて窮屈で、なんだか泣きたくなった。
何が悪かったのかな。
微熱が出はじめたのはいつだったか。
去年の暮れあたりだったような気がする。
最初は寒くて風邪をひいたのだと思っていた。
昔っから身体が丈夫で大きな病気もしない代わりに、風邪だけはしょっちゅうひいていたから。
身体は弱かったけど風邪はあまりひかなかった姉上とは対照的だった。
でも、やっぱ姉弟なのかな。
厄介なモンに好かれちまう。
こんなところで似たって姉上は喜んではくれないだろうけど。
咳が頻繁に出るようになったのは年が明けてからだっけ。
「風邪治らないな」と近藤さんが気遣ってくれて、ちょっと隊務を減らしてもらった。
その時は気楽にラッキーとか思ってたけど、いつになっても咳は治らなかった。
そのうち微熱もだんだん酷くなって、おかしいと思い始めたのは春先だった。
桜の蕾が膨らみ始めた頃。
懐紙に受けた痰に僅かな血が混じっていた。
ほんの小さな疑念が、確信に変わった瞬間だった。
それからは、体調に気を使うようになった。
自分ではありえないくらいに。
微熱が酷くなる午後の見回りを減らしてもらって、その時間を屯所内での隊士の剣術指南に当てた。
午前中に集中する見回りも、できるだけ体力を使わないようにしたし、昼寝の時間も増やした。
酒もやめた。嫌いな肉も食べるようにした。
夜更かししないでさっさと寝るようにした。
今までの生活を崩さない範囲で可能な限り静養に勤めたつもりだった。
まるで何かを恐れるかのように、俺は必死だった。
それでも医者には掛からなかった。
医者の出す薬がどれだけ意味のないものかを知っていたから。
コレには薬は利かない。ただの気休めでしかない。
それは痛いほど思い知っていた。
コレには何よりも静養が一番だということも。
初期であれば治る可能性があることも。
症状が重くなれば、
喀血するようになれば、
後は痩せ衰えて死を待つしかないことも。
知っていた。
知っていたんだ。
そして、夏。
大量の鮮血を吐いた。
『そーちゃん』
優しく微笑んだ姉上が温かい手で頭を撫でて、大好きな声で呼んでくれる。
『ごめんなさい、姉上』
小さな俺は泣きじゃくる。
大好きな姉上に、俺はただ謝ることしか出来なかった。
ごめんなさい。
僕は
姉上と同じ病で
逝きます。
微笑みが悲し気にゆがんだ気がした。
-了-
2008年5月30日
一度はやってみたい沖田労咳話。
いつか連載でやりたいと思っているお話を一部切り取ってUPしてみました。
5月晦日は本家沖田さんの命日です。(旧暦)