- 似絵
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「あ、ちょっと。動かねェで」
「あ?」
「ほら、顔動かしちゃ描けねェでしょ」
「……」
久しぶりに雨のにおいを感じながら読書に勤しんでいたところで、向かいに座った沖田に唐突に文句を付けられた。珍しく大人しくしていると思ったら、何やら描いていたらしい。懐紙のような紙にサラサラと書き込んでいる。
左手で手元を隠すようにしているので、こちらからは何を描いているのかは不明だ。
「何してんだ?」
「晋ちゃんの手配書」
「は?」
「だから、アンタ描いてんだってば」
「だからの意味がわかんねーよ」
つか晋ちゃんてなんだ。
「いいから、アンタは黙って本読んでりゃいいんでさァ」
ほらほらと急かされて、仕方なく文章の続きに目をやる。
が、今更集中できるわけがなく、意識は沖田に向かう。
沖田はチラチラと、時にはじっとこちらを見つめては手元の紙に筆を走らせている。突然絵などを描きはじめるとは、どんな心境の変化か。少なくとも、今まで自分の前では沖田はそんな姿を見せたことはなかった。
時折こちらを見つめる瞳のひどく真剣な様子に興味を惹かれた。
人の言いなりになるのは大嫌いだが、少しならば付き合ってやろうなどと思う。
まったく、一体どっちが稀少なのか。
時間にしたら数分だったかもしれない。
沖田が筆を置いた。
「できたぜィ」
その言葉とともに差し出された紙には、
「………てるてる坊主?」
としか思えないような、丸と三角で出来たラクガキが描いてあった。
「わあ、なんか高杉が『てるてる坊主』とか言うのってすっげー意外。ちょっとカワイイかも」
「テメーは俺をなんだと思ってんだ」
「最も過激で危険なテロリスト」
「その表現に異議はねぇがな」
「じゃいいじゃん」
「よくねェ。つか何、オメェの目には俺はこう映ってんのか」
だとしたら直ちに医者にみてもらうべきだろう。頭のな。
「ンなわけねェでしょう。軽いジョークでさァ。これは準備運動」
そう言っててるてる坊主もどきを引っ込めて、次に沖田が取り出した紙には、正真正銘『高杉晋助』が描かれていた。
「読書してる晋ちゃんの図。どうですかィ?」
「こりゃぁ…」
そこには、片肘を付き、和綴じ本に目を落とす自分の姿があった。
見慣れた自分の顔そっくりの、上手いといっていい出来の絵。
それなのに、他人を見ているような違和感を感じるのは、この絵の自分が穏やか過ぎる目をしているからからだろうか。
自分ですらお目にかかったことのない顔を、沖田に曝しているのか、それとも沖田が捉えている自分がこんな顔をしているのか。
どちらにしても、間抜けな顔に違いはない。
「お前サンの目にはこう見えてんのか。成る程なァ」
「なんか変ですかィ?結構うまく描けたと思ったんですけど」
「いや…。にしても、絵心があったとは初耳だな」
「そんなんじゃねぇですよ。ただ、今日この日のアンタをちょっとでも留めて置きたいと思っただけで…」
沖田は一度言葉を詰まらせ、困ったように視線をさ迷わせた。そして紙の上の『高杉晋助』を見つめてから顔を上げた。
「今年の8月10日に高杉が存在していて、なおかつ俺と同じ部屋で向かい合ってのんびりしてるっつー有り得ねぇような現実を、カタチにしてみてぇな、と」
いつもの無表情のままで視線をそらさず見つめてくる。
よく見れば、沖田の画にも日付が描いてあった。
なるほど、今日は俺の誕生日なのか。
今の今まで思い出しもしなかった日のことを、沖田が律儀に覚えていたのは意外だった。
それを殊更祝うでもなく、でもこの上なく特別なこととしてとらえているらしい。
なんてガキ臭くて乳臭くて面倒臭い奴なんだろう。
こいつを今すぐどうにかしてしまいたい。
無茶苦茶にして、一生繋いで手放さないで、誰の目にも触れさせないで、俺だけのモノにしてしまいたい。
衝動は、だが行動には移らなかった。
やろうと思えば可能だが、それでは面白くない。
会えることが特別だからこその、この絵なのだ。
それをみすみす潰してしまうのは勿体ないし、無粋だ。
今は、こいつが絵に込めた想いに応えてやろうじゃないか。
平面に綴じ込められた、穏やかでウツケ面した高杉晋助も、たまにはいいだろう。
確かにこの日、この時、この瞬間に、俺達は共に居るのだから。
おわる。
晋ちゃんおめでとう!
(10年8月10日日記掲載文)