ボクの大切な人
ひざまくら


「なんだ、今日はずいぶん早ぇんじゃねぇのかい?」
咲き誇る枝垂れ桜の淡い花霞の中から、キラキラと輝くものが舞い降りた。
月明かりに反射して煌く白銀の髪をなびかせた美しい妖。
ぬらりひょんの血を体現した、もう一人の、ボクだ。
「うん、今日はもう寝ろって」
強制送還された、と夕飯を食べて早々ものすごい迫力で床に就くことを強要してきた下僕たちの姿を思い出しながら苦笑いで告げれば、妖のボクも薄く笑い返した。

ここは、ボクの心の中の世界だ。
実際の奴良家と同じ屋敷や庭なのだけれど、現実の世界とは一線を画している。いつでも夜で、一年中枝垂れ桜が満開。眠っている時に訪れることが多いが、夢とは違う。起きている時でも意識的にこちらの世界に来ることもできる。
不思議な世界。
その世界で、ボクは、妖の血を体現したもう一人のボクと逢瀬を重ねている。

妖のボクは、そのままゆっくりと庭を突っ切って、縁側に座るボクの目の前まで来ると、腰を折って膝に手をつき、こちらの顔を覗き込んできた。
整った顔が探るようにじっと見つめてくる。赤みを帯びた金色の瞳に吸い込まれそうなくらい、近い。
「な、なに…?」
突然間近に迫った顔にどぎまぎしてして、声が擦れてしまった。
いくら自分と同じ『奴良リクオ』という存在とはいえ、全く別の人格と外見を持っている。記憶を共有し、共通の考えを持ってはいるが、こうして別々の身体を保つことの許されたこの世界では、別人という感覚の方が強い。
それになにより、この妖は綺麗だった。
何者をも魅了してやまない姿形と存在感。それに一番に魅せられているのは、他の誰でもない自分自身だ。
初めてこの世界で彼に出逢った時、その美しさに目を奪われた。
そして、気付けば心までも。

現し世で彼が自由に動けるのは夜の間だけ。だからボクは彼を夜のボクと呼んでいるのだけれど、その夜のボクは、一日のたった四分の一しか姿を現すことはできないというのに、あっという間に皆の敬慕を集めていった。
そんな彼を羨み嫉妬する心がないといえば嘘になる。ボクにはできないことを、彼は簡単にやってのける。彼がいればボクはいらないのではないかと思ったこともある。
なんの力もない人間の自分。
そんな、重圧に押しつぶされそうになるボクを救ってくれたのも、彼だった。
妖怪のことは自分に任せろ、その代わり、人間のことはお前に任せる、と。
妖のボクは、人間のボクを認めてくれた。
彼は自分の領分を踏み越えることもなかった。あくまで『奴良リクオ』の四分の一の人格として、残りの人格のボクを尊重してくれる。
彼の心は純粋で、広く優しいのだ。
ほら、今だって。

覗き込んだボクの目頭を人差し指で指し、「隈」と。
「え?」
「精神世界でまで隈できるって、相当じゃねぇか」
少し憮然としながら言う夜のボクに、ボクは慌てて目元を隠して誤魔化すように苦笑する。綺麗な顔に見惚れて、反応が一瞬遅れてしまった。
「あはは、そう?気付かなかったよ」
怒ったような顔は、彼に心配を掛けてしまった証拠だ。
呆れさせてしまったかな?と、大きく息を吐きながら隣に腰掛ける夜のボクを盗み見る。ちょっとだけ眉が下がっていて、呆れているというよりも、困ったような表情。
整った横顔は、そんな表情ですら憂いを帯びて魅力的だ。
本当にキレイ。同じ『リクオ』なのに、ボクとは全然違う。
自分よりも高い位置にある顔。
幼すぎてはっきりとは覚えていないけれど、写真で見る父にとてもよく似ていると思う。そして祖父の若い頃とも瓜二つだという。きっと、この姿がぬらりひょんを体現しているのだろう。それだけ血を濃く引いているということ。人間のボクとは違う。

でも、彼はボクだ。誰よりもボクを解ってくれている。

夜のボクは、長い間ずっとこの世界からボクを観ていたせいか、ボクの心情にひどく機敏だ。時には自分でも気付かないようなことまで気付いて心を砕いてくれる。
今回もそう。ボクをこの世界に呼び寄せて癒そうとしてくれている。
実際、ボクは最近疲れていた。
三代目を継いでから、今まで以上に妖怪の世界でやることが増えた。人間としての生活もこれまでどおり続けて、その上で百鬼の主としての地盤の強化に努める。夜のボクの力も借りるけれど、主人格は人間のボクだから、特別なことがない限り夜でも基本的にはボクが面に出ていることが多い。
今日側近たちがボクを休ませようとしたのも、そうい状況を慮ってのことだろう。
それが、夜のボクにわからないはずがなかった。

この常夜常春の世界は、ボクの心の中にあるけれど、実際はボクの独断では干渉することはできない。
何故かといえば、ここが夜のボクの支配する世界だからだ。ボクの中にあって唯一、夜のボクだけに許された場所。
長い間、彼は誰にも存在を知られることなく、一人っきりでここにいた。ボクが閉じ込めていた。
だから、本当はボクは、ここに来る資格はないのかもしれない。
でも、夜のボクはボクがここに来ることを許してくれる。ボクが来たいと無意識にでも思うと、敏感に察知して、ここに呼んでくれる。
それはボクが疲れていたり悩んでいたり、苦しんでいる時であったり、嬉しかったり楽しかったりした時だったり色々。彼に逢いたいな、とボクが思えば、それは叶えられた。
ここは、夜が明けることのない世界だけれど、温かい。夜のボクの妖気で満ちている。
あまりにも優しく温かくて居心地がいいから、際限なく甘えてしまう。

それに、ここにはボク達しかいなかった。
三代目とか、百鬼夜行とか、人間関係とか、敵とか、勉強とか、そういうわずらわしい事は一切ない、ボク達だけの世界。
そして、ボク達が同時に存在していられるのも、ここでだけ。
別人格だけど、別人じゃない、他人じゃない、唯一の存在であるもう一人の自分。
ここで二人でいるだけで、心が安らいだ。一人じゃないと安堵した。
夜のボクを感じられる場所。
もう一人の自分と触れ合える場所。
それはなんと甘美で魅惑的でかけがえのないことだろう。
この世界ももう一人のボクも、ボクにはもう手放すことはできない。

日に焼けることのない白い手が、ボクの額に触れてきた。慣れた自分の手の感覚とは違う、夜のボクの大きな手。その温かさに鼓動が早まるのを、必死で押し隠した。
「熱、ないよ」
困ったように笑うボクに、実際に熱がないことを確認してから手を離す。遠ざかる熱に安堵しつつも落胆した。夜のボクの体温を感じるのは、ドキドキするけれどとても好きだから。
もっと触れていたかったという気持ちが勝って、ボクは離れていく手を無意識につかんでいた。
首をかしげる夜のボクに、笑みを浮かべることで返事をして、つかんだその手を見つめた。
日に焼けたボクの手に包まれると、その白さが際立つ。華奢ではないけれど、細く長い綺麗な指をしていた。
「君はこんなところまで綺麗なんだね」
「きれい?」
「うん。大きくて、綺麗で、力強くて。ボクにないものを全部持ってる」
だからこそ惹かれる。
この手は、君そのものだ。
「みんなを護る、大将の手だよ」
ボクが憧れてやまない、大好きな手。
ぎゅっと、力を入れれば、同じ力で握り返してくれた。
「お前の手だって大将の手だ」
「こんな頼りない手が?」
「頼りなくなんかねぇさ。力は強い。それに、これからでかくなんだろ」
今は君の手にすっぽりと覆われてしまうような手だけれど。君がそういうのなら。
「そうだね、すぐに君より大きくなってみせるよ」
並んで座るボク達の、わずかな隙間に絡んだ手を落ち着かせる。
いつもピンチに現れて、疲れれば癒してくれて、護ってもらってばかり。
でも、ボクだって君を護りたい。
「それは、無理だ」
「なんでだよ」
「オレももっとでかくなるから」
オレだってまだ成長期だ、と得意気に言う夜のボクに、なんとなく悔しくて、でもと反論してみる。
「君はもう妖怪として成人したでしょう。なら、成長期はとっくに終わってると思うけど」
その証拠に、八歳の時に一度だけ覚醒した妖怪のボクは、当時のボクとほとんど背丈の変わらない子供の姿だったという。それが、四年でここまで成長したのだ。つまり、人間と違って成長期が早く急激に訪れたということで、第二次性長期まっただ中のボクがこれから追いつき追い抜くことは、不可能ではないということだと思う。
「…そうなのか?」
ボクの言った事を素直に真に受けてシュンとしょげてしまった夜のボクは、とても可愛かった。
そんなにショックだったのかな、と思いつつフォローする。いくら可愛いとはいえ、こんな顔をさせておくのは本意ではないのだから。
「あ、でも、成長が止まったわけではないだろうから。ね?」
手をぎゅっと握りながらそう諭せば、夜のボクはちょっと安心したようで、頷いてくれた。
綺麗なんだけれど、時々ひどく可愛らしい姿も見せてくれるから、堪らない。いつも大人びているのに、彼がたまに見せるこんな表情やしぐさは、彼を実年齢よりもずっと幼く見せた。
だから、強いのに危うくて、放っておけないのだ。

「ところで、君は大丈夫なの?」
「何が?」
「疲労、たまってない?」
ボクが疲れているということは、身体を共有している夜のボクも無関係ではいられないと思うのだけれど。
けれども、夜のボクは平気だという。
「オレは妖怪だからな。疲労回復も早いんだろうよ」
たとえ同じ身体でも、人間のボクと妖怪のボクとでは違う、ということだろうか。
「それでも、普通の人間よりは丈夫なんだけどね」
多少悔しくても仕方のないことだから、その事実は受け入れるしかない。実際、疲労を隠せずに、周りの者たちにまで心配を掛けてしまっているのだから。
「今日はもう寝ろって怒られちゃったもんなぁ」
やることは山ほどあるのに、連日の徹夜に業を煮やした下僕たちに、今日はもうなにもさせないと、無理やり布団に押し込まれてしまった。
「仕様がねぇだろ。前科があんだ」
以前四国との抗争の際に疲労で吐いたことを言っているのだろう。それについては言い返す言葉もない。
つないだ手を見る。やっぱり頼りない自分の手に溜息が溢れた。
「みんなに心配ばかりかけて、情けないな」
三代目なのにね、と弱音を吐くと、夜のボクはつないだ手をその膝の上に導くと、もう片方の手も添えて両手で包み込んでくれる。
「こんだけ頑張ってんだ。それをわかってるから、みんな大事にしてくれるんだろ。心配されるってのはありがてぇことだ」
包み込まれた手から伝わってくる温もりが全身に広がっていく。
外からも内からも心地良い感覚に包まれて、心が凪いでいくようだ。
「うん、そうだね」
ボクは、君にもみんなにも、充分すぎるほど心配されて大事にされて、なんて幸せなんだろう。
与えられすぎて、ボクはわがままになっている。夜のボクにも甘えてばかり。
「だいたい、お前は気負いすぎなんだよ。ちったぁ力を抜くことを考えねぇと」
「それはお互い様だと思うけど」
「オレは妖怪だからいいの」
「何ソレ」
理不尽ともとれる言いように、拗ねて見せれば、君は得意気に言ってくれた。
「だから、お前はここで安めばいい。オレがお前の魂を護ってやる」
「……っ、」
ここは、ボクの安寧の地だ。
ボクに安らぎをくれる世界。癒してくれる世界。君のいる世界。君に逢える世界。
かけがえのない、大切な場所。
そんな世界に招いてくれた君に、ボクはいったいどんな感謝を伝えればいいのだろうか。
込み上げる気持ちを形にすることができたらいいのに。
「うん、ありがとう」
口についたのは簡単なことばだけ。
でも、君はボクのことはなんでもわかってくれるから、きっとこの気持ちも伝わっているよね。
「今日はゆっくりやすみな。俺も外には出ねぇよ」
ずっとここにいる。
そう言ってくれる優しい君に、もう少し甘えさせてもらってもいいかな。
「ねえ、少し膝かして」
ボクの手を包み込んでくれていた膝の上に、上体を横たわらせる。同時に、空いていた片手を夜のボクの腰にまわして抱きついた。
「かまわねぇが、逆に疲れねぇか?」
「ううん、これがいい。安心する」
頬を埋めて、その香りをいっぱいに吸い込んだ。触れている箇所から伝わる温もりが気持ちいい。
顔を上げれば、夜のボクが綺麗な笑顔を浮かべていた。
「なら、いくらでもかしてやる」
その表情と言葉に、ボクも笑顔になる。
ああ、なんて気持ちがいいのだろう。
温かい手に髪を梳かれる感触を楽しみながら、ボクは心地よい眠りへと誘われていった。










おしまい。










「ここ、ボクの指定席ね」
「安心しな、お前の他にはこんな物好きいやしねぇよ」






主題は膝枕だったはずなのに、精神世界の設定を考えながら書いていたら、こんな説明文になっちゃいました。
まあ初孫文だしね。
昼も夜もお互いのことが大好きってことで!
それにしても、ボクボク言いすぎですね。


(2011年2月9日)