++優しい手++
「サガ、あなたどうしたんですか?」 教皇の間への道筋、双児宮を通りかかったムウは、柱の影でうずくまるサガを発見し、声をかけた。 「ムウ…。いや、なんでもない」 両手を広げても届きそうにない大きな柱に寄りかかっているサガは、なんでもないようには見えない程顔色が悪かった。多少呼吸も困難なのか、大きく胸を上下させて苦しそうにしている。 「なんでもないって…あなた、そんな状態で何を言っているんですか」 言葉とは裏腹に、立ち上がることすら出来ないでいるサガに、ムウは呆れたように手を差し伸べる。こんな冷たい場所にいては体調は悪化するばかりであろう。各宮殿の脇に供えられている黄金聖闘士の生活空間の場へと移動して落ち着かせるのが第一である。 「具合が悪いんでしょう?肩を貸しますから、さっさと横になってお休みなさい」 遠慮してか、手をとらないサガの腕を無理やり引っ張り上げると、自分の肩に腕をかけさせ、ゆっくりと歩き始める。 「通り道にあなたの恨みがましい死体が転がっているのはあまり気持ちよくないですからね」 自分よりも一回り小柄なムウが顔色一つ変えずに自分を持ち上げたことか、それともムウの先走った想像を聞いてか、サガは呆気にとられたような顔をしていたが、すぐにその顔に神の様だと称される微笑を浮かべ、足を動かし始めた。 「あなたの部屋はこっちですよね」 双児宮に隣接するサガの家には、二人の人間が住んでいる。 「全く。あなたは無理しすぎるんですよ」 柔らかいベッドの上で一息ついたサガを見て、ムウは溜息をつきながら言った。 「どうせまた徹夜で仕事でもしていたんでしょう?」 昨日まで、サガは週番で教皇の補佐をしていた。日頃から仕事熱心な男であるが、今回はいつも以上に没頭していた。おそらく、自分に与えられた仕事だけでは飽きたらず、次の番の者の分まで手を出していたに違いない。 (心当たりっていうか、これしか考えられない…) フウ、ともう一度大きな溜息をつき、虚ろな目で天上を見上げるサガに声をかける。 「カノンが帰って来るのはいつでしたっけ?」 突然耳に入ってきた半身の名前に、サガは露骨に反応する。 「明後日だ」 「明後日、ですか。もう少しですね」 「…ああ」 力なく、サガは答える。 「カノンは立派に役目を果たしていると思いますよ。あなたが心配をするようなことはないでしょうに、何をそんなに気にかけているんですか?」 「別に、気に掛けてなど…」 「では、何が気に入らないんですか?」 「……」 カノンがアテナに側役を命じられた際、唯一異を唱えたのが、サガだった。 「カノンは勧んで引き受けたのでしょう?あなたはそれが気に入らないんですか?」 「……」 サガは黙ったまま、答えない。一瞬目をそらしたところをみると、図星なのだろう。 「…そんな捨て猫みたいな目をしないでくださいよ」 まるで私が悪者みたいじゃないですか、とムウはひとりごちる。 「このままでは、あなた、カノンが帰ってくる前に精神がまいってしまいますよ」 ムウはベッドの側にあった椅子に腰を掛け、手を伸ばしてサガの頭を優しく撫でながら言った。ムウにとっては無意識の行動だったが、サガにはそれがひどく温かく感じられた。まるで、小さい頃、自分の親であったものからされた行為の様に落ち着くのだ。 「なんだか、ムウは母親のようだな」 「は?」 それまでほとんど口を開かなかった目の前の人物が突然口にした言葉に、ムウは素っ頓狂な声をあげてしまった。 「それは、…どういう意味ですか?」 しばらくして思い当たった節に、ムウは少々声を尖らせる。 「あ、いや、そうではないのだ。別にムウが女顔だとか柔らかそうだとか、そういうことを言っているのではない」 焦って弁解するサガだが、墓穴を掘っていることに気がついていない。 「ほぉー。私が女顔で柔らかそうで、それで?」 先ほどまで見せていた優しげな顔はどこそこへ。 「ち、違う。そうではなくて、ムウは温かいから…」 「温かいから?」 「温かくて、なんだか落ち着くから、母親のようだと思ったのだ」 語尾は消え入りそうになっていたが、サガはムウを怒らせないよう、必死に答えた。 「…いつも、こうして貴鬼を寝かしつけているんです」 ゆっくりと、やわらかな髪を梳くように、優しく撫でる。 「まるで子どものようですね」 ムウに撫でられて気持ち良いのか、サガは目を閉じてまるで寝ているようだ。 「昔、私を生んでくれた人も、こうしてよく頭を撫でてくれた。私もカノンもそれが大好きで、たくさん撫でてもらえるように必死でいい子を演じていたよ」 サガは目を閉じたまま、ゆっくりと言葉をつなぐ。 「でも、いつの頃からか、カノンはそれを止めてしまった。私が聖闘士候補生として聖域に通い始めた頃かもしれない。それから間もなくして母が亡くなって、カノンは何処かへふらっと出て行くことが多くなって…私たちは顔を合わせることもほとんどなくなっていった。ちょっと前までは二人一緒にいなければ何にも出来なかったのに…」 サガは閉じていた目を少しだけ開き、虚空を見つめた。その瞳には、何が映っているのだろうか。 「家に帰っても誰もいないんだ。もう少ししたら帰ってくるかもと遅くまで待っていても、誰も帰ってこない。力尽きて寝てしまって、翌朝起きると隣でカノンが寝ているということががよくあった…」 そこまで話して、サガは口を閉じた。 「カノンは帰ってきますよ」 優しく微笑んで、それこそ本当にサガの記憶にある人のように微笑んで、ムウは続けた。 「カノンの帰る場所は、昔も今も、あなたのところなのでしょう?」 「……」 サガは目を閉じ、すぐに開いて自分の頭を撫でてくれている人に視線を向けた。 「…ああ」 先ほどまでは見られなかった、明るい微笑を浮かべている。 「やはりムウは母親のようだ…」 遠い日、弟と二人で競い合った母の姿が、今ここにいる人と重なる。 「…そんなに言うのなら白羊宮(うち)の子どもになりますか?あなた以上に手のかかる子どもが二人ほどいますから、にぎやかでいいですよ」 わがままな師匠といたずらっ子の弟子。ムウの話す手のかかる子どもの姿が容易に想像でき、サガは笑いを隠せない。 「それもいいかもな。できればカノンも頼む」 「構いませんよ。一人増えるのも二人増えるのも大して変わりませんからね」 ムウにとっては、サガもカノンも一人では寂しくて生きられない子どものように感じられる。自分より一回り近く年上の双子に、不思議な保護観を抱いてしまうのである。 「一人で寂しい時は遠慮せずにいらっしゃい。温かい食べ物と寝床くらいはいつでも提供できるようにしておきますから」 かつては敵として戦った者、大切な存在を奪った者であるのに、今は憎しみは感じない。それが目の前の人物が神のようだと称され愛される所以なのかもしれない、とムウは思う。 「とりあえず、今日はもう寝なさい。あなたが眠るまでここにいてあげますから。たくさん寝て、あと二日、がまんできますか?」 「…ああ。大丈夫だ」 目を閉じ、大きく息を吸って答える。 「ありがとう、ムウ…」 言い終えた頃には静かな寝息が聞こえ始めていた。 白羊宮が十二宮で最も賑やかな宮になるのは、きっと、そう遠くはない。
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ムウ様ってお母さんみたいだよねっていうお話。 |