- BATTLE CRY
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青天の霹靂だった。
朝、いつものようにテレビを見つつわびしい朝食をつついていたら、真選組と攘夷浪士との武力衝突のニュースが報道されていた。
『双方共に死傷者が出ている模様です』と、中継のレポーターが興奮気味に伝えていたのを聞いて、またか最近多いな、なんて思った。それからちょっとだけ、あの子は大丈夫だろうかとも。斬り込み隊長の彼は、いつも最前線で戦っていたから。すぐに、まぁあいつなら大丈夫だろと勝手に無事と決め付けたんだけど。
その後、仕事もないし、銀玉に夢を託して一攫千金でも狙うかな、と外出しようとしたところで電話が鳴った。
新八は買い物、神楽は定春の散歩で誰もいなかったので、仕方なく自分で出てみると、非常に気に食わない奴からの電話で、しかも有無を言わせず『今すぐ屯所に来い』と命令されたので、ムカついて即効で切ってやろうかと思った。が、どうにも様子がおかしいので、どうせすることもなかったし断る方が面倒そうだと思ったので、行ってやることにした。後でめいっぱい難癖つけて依頼料としてがっぽりふんだくってやるつもりで。
真選組屯所は静かだった。いつもがやがやと騒々しいのが嘘みたいな静けさ。人はいつもより多いように思ったが、不思議と静寂が保たれていた。
そういえばガサ入れしたんだっけ、と朝のニュースを思い出す。それにしては妙に沈んだ空気が漂っているようで首をかしげた。
門番には話が通っているらしく、目礼されながら門を通ると、正面玄関に呼び出した張本人がいた。
頭から足の先まで真っ黒ずくめの姿も、銜えタバコもいつもどおりの姿。ただ、そのタバコは火がついていなかった。
目の前に立ったのに向こうから何もリアクションがないので、仕方なくこっちから話しかけてやった。
「多串くーん、いったい何の用ですかぁ。銀さん忙しいんですけど」
反応は、ない。目の前の人物は俯いたままピクリともしない。
「おぉーい。聞いてる?起きてますかー、副長さーん?」
つか、そっちから呼び出したのになんだこれ。ガン無視かよ。
「用がないなら帰んぞ、うちだって暇じゃねぇんだからよ」
実際は暇だったからここまで来たんだけど。それはそれだ。
本当に帰ろうかと踵を返そうとしたところで、ようやく反応が返ってきた。
「…――ご――…が……」
それは普段の奴からは考えられないほど小さなかすれた声で、近くにいるのになんと言ったのか聞き取れなかった。
相変わらず俯いたままなので表情も伺えない。
「あ?」
「……こっちへ」
今度は辛うじて聞き取れた言葉を残して、奴は屋敷の中へと入っていった。付いて来いということらしい。
わけが解らないままに、その後を追った。
通されたのは、見覚えのある部屋だった。
屯所の奥まった場所にある、中庭に面したこのあたりは幹部の自室なのだと、いつだったかあの子に教えてもらったことがあった。
そして、今目の前にしているのは、まさにその子の自室。
障子を前にして、土方は固まったように動かなくなった。
「…多串くん?」
痺れを切らす頃、ようやく一歩退いてこちらを見た。
今日はじめて見たその顔は、顔色が悪く、見るからに疲労の色が濃かった。
「――これは、最重要秘密事項だ。まだ公にしてねぇ。絶対に知られちゃなんねぇんだ。ちょっとでも洩らしてみろ、どんな事してでもてめーを抹殺する」
小さいながらも今度ははっきりと聞き取れた内容は、唐突で、意味がわからないものだった。そもそも勝手に呼び出しておいて抹殺ってどういうことだ。
それでも、その深刻さは嫌でも伝わってきた。土方の纏う空気は茶化すことすら許さなかった。
「……何が、あった?」
「…………てめーだからだ。てめーだから、ここに、呼んだ、…――」
――総悟が――。
最後に付け加えられたその名を呼ぶ声は、震えていた。
障子を開ける。
柔らかな日差しが差し込むその室内は、明るいのにどこかどんよりとした空気が漂っているようで、暗かった。
その真ん中に、彼はいた。
布団に横たえられて、顔には白い布が掛けられていた。
身体も顔も覆われていて見えないが、優しい色合いの細く真っ直ぐな髪の毛は、確かに沖田くんのものだった。
昨夜の攘夷浪士との衝突で、真選組側は重軽傷者こそ何人か出したものの、死者はひとりだけだったらしい。
対して攘夷浪士側は死者十数名、捕縛者数十名。取り逃がした者はなく、成果だけ見れば討ち入りは成功といえた。
ただ、真選組側が失ったものは大きかった。あまりにも大きな損失――。
真選組最強と謳われた、一番隊隊長の死。
その死が与える影響は、隊の内外問わず計り知れない。
故に、その事実は伏せられたまま。
ここに、ひっそりと。
土方が去った後も、障子の内側に突っ立ったまま。動くことを忘れた手足は蝋人形のように固まったままだった。
空が赤らんで橙の日が差し込み、やがて室内が薄暗くなってきた頃。
ようやく、枕元に座すことが出来た。
沖田くんは、――当たり前だけれど、その間ピクリともしなかった。
その頭部を覆う白い布を取り去る。現れたのは、薄暗い中でも浮き上がるような白い顔。
見たところ傷らしい傷は見当たらない。首から上は綺麗なものだった。
本当に、眠っているような、綺麗な顔だった。
足をやられた隊士を近藤が庇おうとしたらしい。それを、沖田くんが庇った。
複数の銃弾が襲ってきたが、避けることは出来なかったのだという。
ほぼ即死だったそうで、苦しまずに逝けたのが幸いだったと土方は言葉少なに言ったが、それはどうだろうと思った。
日頃から『俺の命は近藤さんのためにあるんでィ』と言ってはばからなかった子だ。
有限実行で近藤を護ってその命を散らせたことはあの子としては本望だっただろうが、大事な近藤の無事を確認せずに事切れてしまったことについては、あの世で後悔しているんじゃないかと思った。
だから言っただろ、昼寝ばっかしてないでもっと身体鍛えなさいって。
「お前の大好きな近藤は、お前のおかげでかすり傷ひとつ負わなかったってよ」
てめーで確認できなくなっちまったんなら、仕方がないから教えてやる。
「……まあ、フィジカルは無事でも、メンタルはどうだか知んないけどな」
近藤は、動かなくなった沖田くんを抱きしめて放さなかったらしい。なんとか説得して屯所に連れて帰り、沖田くんの身体を清めてからは、部屋から一歩も出てこないのだという。
「バカだなぁ…おめーらはほんとにさ……」
最後に会ったのは一週間前だった。
サボり途中の沖田君と一緒に団子を食べて、ぶらぶらと街を歩いて、それで別れた。本当は万事屋に連れ込みたかったけれど、流石に仕事中はまずいということで自重した。
特別なことは何も話さなかった。天気のこととか、ドラマの再放送のこととか、近所の犬に吠えられたとか、どうでもいい日常の会話をぽつりぽつりとしただけ。至って普通の出来事で、何も特別だと思わなかったし、それがまさか彼との最後の逢瀬になるとは思いもしなかった。
沖田くんはいつも通りの無表情で、でもちょっと楽しそうで、時々笑ってくれていた。
『旦那ぁ』と呼ぶ声は今でもはっきりと思い出せるのに、その声を聞くことは、もう二度とない。
ドSで性格最悪の癖に自分と違って透明な澄んだ瞳をしていた、その目に見つめられることも二度とないのだ。
「バカなのは俺か…」
命を張った仕事をしていることは重々承知していた。していたつもりだった。でも実際は失う覚悟なんてこれっぽっちもできていなかった。沖田くんなら大丈夫と、なんの根拠もなく思っていた。
自らが命の遣り取りをする場にいて、事実たくさんの命を刈り取ってきたにも関わらず。
ほんと、どうしようもねぇ…。
「おきたくーん」
呼べば大きな目をくりくりさせて応えてくれたのに。
「なあ、沖田くん……聞いてる?」
もう、目を覚ますことはない。笑ってもくれないし、呼んでもくれない。熱い吐息を交わすこともできない。
「そういえば、ちゃんと言葉にしたことなかったよな」
綺麗な顔。
ただ眠ってるみたい。
「ずっと、好きだったよ」
今でもこんなに愛してる。
数日後、真選組一番隊隊長の殉職が公表された。
真選組の山崎が万事屋に訪れたのは、更に数日経ってからのことだった。
「これ、沖田さんの部屋を整理していた時に見つけたものです。三通あって、局長宛と副長宛と、貴方宛のものでした」
差し出されたのは一通の茶封筒。角ばった癖の強い字で『坂田銀時様』と宛名があった。
お茶を勧めてみたが、「色々やることがたまってるんで」と隈の浮き出た顔でやんわりと断られた。
「今でも信じられないんです。あの人、ひょっこりと帰ってきそうで。火葬もして骨も拾ったのに、おかしいですよね…」
山崎はそう言って力なく帰っていった。
元気がないのは真選組ばかりではなかった。
万事屋の面々も、消沈していた。一報を聞いた時、新八は信じられないと言って呆然としていたし、神楽は嘘だと喚き散らし、最終的には泣いていた。
俺は――。
封筒にはきちんと封がしてあった。
宛名の決して上手とはいえない字は、年賀状などで何度が見かけたことのある筆跡、紛れもなく沖田くんのものだった。
『旦那は字が上手なんですねィ。俺はどうにも習字は苦手で。剣ばっか振ってたから、こういうのはてんで駄目なんです』
『そう?でも沖田くんの字ってなんか読みやすいよ。性格よりよっぽど素直じゃん』
『旦那こそ、性格のねじれが字に現れなくてよかったですねィ。その分全部毛根に集中しちまってるみたいですけど』
『ばっかお前知んねぇの?能ある鷹は爪を隠すっつーだろ。この頭は本来の性格を隠してんだよ』
『何のために?』
『悪いヒトに狙われないように』
『ああ、俺みたいな。でもそりゃ意味ねぇや。だって俺その捻じ曲がった毛根込みでアンタのこと気に入ってんですもん』
『……あ、そう』
『あ、照れてる』
『照れてねーよ!』
『旦那かーわいー』
ハハハ、と笑った沖田くんの声も表情もしぐさも。全部が鮮明に思い出せた。
そういえばあの子は、俺の前では結構笑ってくれてたな。今更ながらにそんなことに気付いた。
それももう見ることは出来ない。
鼻の奥がツンと痛んだ。
あーあ、最期にチューしときゃよかった。
今にも睫毛を震わせて起きそうな死に顔にキスをして、その冷たさに震え上がっていれば、諦めがついただろうか。
もう会えない現実を、受け入れられただろうか。
あの子のいない未来を生きる術を持てただろうか。
わからなかった。
もう何もかもが面倒だった。
会いたい。触れたい。匂いを嗅ぎたい。声を聞きたい。
こんな手紙なんていらないから、会いに来てくれよ。
頼むから。俺を、置いていくな。
それでも、これが沖田くんの残した最期の欠片だというのならば――。
手紙の封を切った。
逆さまに振ると、一枚きりの便箋がはらりと落ちた。