The World's Edge
2.キセキ


7月8日。
今日もお天道様は姿を見せてくれない。
今にも降り出しそうな空を見上げて、銀八は今日も歩きか、と嘆く。
昨日に負けず劣らず爆発した頭をどうこうする事はもう諦めた。この狭い島国に生を受けたからには、湿気との戦いは終わりが見えない長期戦であるはことこの二十数年で痛いほど学んできたことだ。今更梅雨ごときで気を逆立てていては身が持たない。というか、無駄な足掻きだといい加減悟った。
かといって気にならないわけはないわけで、溜息を吐きながらうねうねと好き勝手にはねまくる髪をがりがりと掻きつつ思い浮かぶのは、自分とは全く正反対のサラサラヘアーの教え子。
昨日も銀八の苦悩を余所に、サラサラと音のしそうな柔らかな髪を惜しげもなく晒していた。癖毛とは無縁に見える彼の髪は、湿気の有無に関わらずいつでも変わらない。
なんとも羨ましいことだ。
そう思うと同時に、沖田が一瞬見せた羨望ともとれる感情も思い出してしまって、顔を歪めた。
沖田の思いをはぐらかしている後ろめたさと、そんな自分への苛立ち。沖田のあんな姿を見てしまって無視するのは流石に良心が痛む。
それに、と銀八はカレンダーに目をやる。
七夕の翌日。去年まではなんでもない日だったが、いつの間にか銀八にとって特別となっていた。
沖田は何も言ってこないが、銀八は腐っても彼の担任だ。それに彼の周囲の様子を見ていれば、嫌でも耳に入ってくる。
いっそ知らなければ良かった。そうすればこんなに思い悩むことはなかったのに。
居間のテーブルの上をちらりと見る。
「いや、駄目だろ」
一人ごちて、鞄を手に取り玄関へ。
ドアに手をかけて数秒。振り返ってまた数秒。室内に戻って数秒後またドアへ。
これを繰り返すこと数回。
躊躇いを断ち切るように思い切りドアを開けた。



「せんせ、居やす?」
昼休み中の国語科準備室。ノックの後に聞こえてきた声に軽く返事をする。
内心ギクリとしたのだが、そんなことはおくびにも出さない(つもりでいる)。
扉の向こうに現れたのは、今現在銀八の頭の中で糖分と同等の割合を占めている人物、沖田だった。
相変わらずサラサラの髪が彼の動きと共に揺れて淡い光を放っている。
無性にミルクティーが飲みたくなった。だって、沖田の髪色はミルクをたっぷり溶かした紅茶の色をしているのだ。とてもとても甘くて美味しそうな。これにケーキがついてたら最高だな。
そうやって銀八が軽く現実逃避をしているうちに、沖田はさっさと入ってきて、座っている銀八を見下ろして首を傾げた。
「涎垂れてますけど、寝てたんですかィ?」
「マジでか!」
一瞬で我に返った銀八は、慌てて口元を拭うが濡れた感触はない。
あり?と何度かこすっていると、プッと噴出すような声がした。顔を上げると沖田が楽しそうに笑っている。
「先生って、結構単純なんだ」
まんまと騙されたのだとわかって、舌打ちをする。
「うるせーよ狼少年」
恥ずかしさを誤魔化そうと、多少つんけんした態度になってしまったが、沖田は気にした様子もなく、むしろ心外だとでも言いたげに肩を竦めてみせる。
「俺ァいつでも正直に生きてますぜ。寝てたのかなって思ったのは本当だし」
「いや、起きてたよ。テストの採点さっさとしろって五月蝿くてさ。ん?つーことは俺って年中眠そうな目してんのか?」
「んー、一般的にはそうみたいですねィ。まあ、俺はいつもは生気がないだけで眠そうには見えやせんけど」
他人と自分の認識に微妙な違いがあるように沖田は言う。それだけ銀八をよく見ているのだ、と言われているようで、どこか落ち着かない。
そして、そんな沖田が眠そうだという今の自分。確かに昨日から色々思うところがあってあまり眠れていないから、実際眠い。沖田の指摘は的を射ていた。
「つか先生、現国初日だったじゃねーですか。採点まだやってなかったんですか?」
「先生にも色々あんのよ。だいたいさー、国語のテストなんて正解ひとつじゃねーじゃん。面倒臭ェことこの上ねーのよ」
「国語教師の言う台詞ですかィ」
「だってほんとのことだしー」
拗ねたフリをしてそっぽを向く。視界の端に見えた沖田は苦笑しているようだった。
それを見て、アレ?と思う。
いつもならこちらの許可など得ずに勝手に隣に座ってくる沖田が、今日は立ったままなのだ。
「座んないの?」
「いや、忙しそうだし。ちょっと寄っただけなんで」
採点のことを言っているのだろう。確かにまだ多くの未採点答案用紙が残っているが、それらは職員室で済ませるつもりなので、ここには持ってきていない。それならば何のための準備室かと言われそうだが、休憩室(兼昼寝場所)だ、と答える用意はできているので問題はない。何度もここを訪れている沖田もわかっているはずなのだが。
そうは思いつつも、引き止めるのもどうかと思うから肯く他なかった。
「そう?」
沖田は笑顔で返事をすると、視線を動かす。沖田の目線を追っていけば、そこにはソファの前に置かれた木製の粗末なテーブルがあった。
「笹、処分してくれたんですね」
「ああ、うん」
笹を挿していた空き缶はそのままに、肝心の中身だけ消えていた。
実は、笹飾りは昨日のうちに銀八が持ち帰り、自宅アパート横の空き地で燃やしたのだ。
七夕の行事など十年単位でやった記憶がないから、笹の葉の行く先がどうしても思い出せなくて、とりあえずゴミ箱に捨てるよりはいいだろうと思って燃やしてみたのだが。
それを伝えると、沖田も同意してくれた。
「七夕過ぎて飾っといたら効力落ちちゃいそうだしね」
嘘ではないが、それが全部ではない。実際のところ、勢いあまって書いた短冊を沖田に見られたくなかった、というのが本音だった。
「昨日つい置いてっちまったから気になってたんですけど。笹サンも成仏したに違ェねェ。わざわざありがとうございやす」
「成仏って…」
可笑しな表現に苦笑して、後ろめたさを押し隠す。あくまで自分の都合で処分したに過ぎないので、感謝の気持ちも素直に受け取れなかった。
話題を変えたいと思って口を開きかけたが、それよりも早く沖田が口を開いた。
「昨日、ちょっとだけど星見えましたね」
夕方まで降ったり止んだりを繰り返していた雨雲は次第になくなって、夜には薄い雲の切れ間からだったがわずかに星が見えていた。
「どれがどれだかわかんなかったけど」
会えたのかな、と沖田は昨日と同じように天井を見上げた。
会えただろ、と銀八は肯定した。
「そっか」
「まあ、昨日はほぼ満月だったからね。例え晴れてても天の川は霞んで見えなかっただろうから、ちょうどいいんじゃねェの?」
「?」
銀八の言う意味がわからなかったのだろう、沖田は首を傾げる。
「誰だって折角の逢瀬を大衆の目に晒したくないだろ。心置きなくいちゃつけただろうよ」
ニヤリと銀八が人の悪い笑みを浮かべて見せると、一瞬目を見開いて、沖田は嬉しそうに笑った。
それこそ、誰にも晒したくない、と思わせる笑顔だった。
ひとしきり笑って、沖田は「それじゃ」と踵を返す。
本当に長居をするつもりはないらしい。
扉に手をかけたところで、銀八が焦って呼び止める。
「沖田!」
「…なんですか?」
振り返った沖田に何かを言いかけるが、言葉にならない。
結局、「いいや、なんでもない」と伝えると、沖田は首を傾げながらも聞き返すことはしなかった。

静寂の戻った室内で、銀八は項垂れた。
「なんで、言えないかな…」



結局、その後沖田とは帰りのショートホームルームで顔を合わせただけで、話す機会はないままに学校での一日を終えた。
沖田には放課後部活があるし、銀八も銀八で仕事は山ほどある。
伝えたかった言葉は飲み込んだまま、今宵の夕食の材料を調達しに近場のスーパーへと足を運んだ。
いつの間にか雨は上がっていた。昼間の蒸し暑さからも開放され、微風が心地よい。これならば朝多少無理してもスクーターで来れば良かったと後悔した。
スーパー内には、夕飯の買出しには少々遅い時間にも関わらず多くの客がいた。人ごみは銀八のやる気を削ぐのに十分で、それを見ただけでゲッソリとしてしまう。
面倒だから出来合いのものにするか、と財布の中身と相談しつつ食料品売り場を歩いていると、「坂田先生?」と鈴の鳴るような声で呼びかけられた。
声の主が浮かばなくて、誰だと思いつつ振り返ると、相手も疑心暗鬼だったようで、振り返った銀八の顔を見て安心したように笑顔を浮かべた。
その顔と髪、そして何より綺麗な笑顔は、ある人物に良く似ていて、銀八は思わず「あ」と間抜けな声を発してしまった。
「弟がお世話になっております。沖田総悟の姉です」
丁寧な会釈と挨拶に銀八も慌てて挨拶を返す。
「いえ、こちらこそ」
幼い頃に両親を亡くしたという沖田は、現在姉と二人暮しで、彼女が沖田の保護者である。実際に会ったのは初めてだが、沖田が話の端々でよく姉のことを話題に出すので、初めて会った気がしなかった。それは彼女も同じなようで、「そーちゃんからも先生のことはよく伺っています」とにこやかに微笑まれる。
「ああ、いえ、どうも」
その彼女――ミツバを前にどこか気まずく感じてしまうのは、銀八が沖田に対して、ただの生徒に対するものとしてはあまりよろしくない感情を持っているからだろう。どうにも正面きって目を合わせることができない。
ミツバはそんな銀八の不自然な態度を気にするわけでもなく、綺麗な笑顔を浮かべている。
外見や笑顔は似ているが、どうやら中身は随分違うらしい。丁寧な物言いや柔らかい物腰は沖田にはないものだ。沖田も敬語は使うが、気風のいい下町訛りが混ざっていて、気だるげな口調もあって印象は大分異なる。彼女に似たのではなければ、どこで覚えてきたものなのだろうか。
「これからお夕飯のお買い物ですか?」
「あ、ええ、まあ」
そう問いかけるミツバの持つ買い物籠には、調味料がいくつか入っているだけで、おかずになるようなものは入っていない。来たばかりなのだろうか。
銀八の視線から疑問を感じ取ったのだろう、ミツバが答える。
「夕飯の用意はできているんですけれど、ちょっと調味料を切らしてしまって。そーちゃんが帰ってくるまでまだ時間があるから買いに来たんです」
察しがいいのは弟と同様らしい。
ミツバは少し考えるように口元に手を当ててから、銀八の予想もしなかったことを尋ねてきた。
「あの、失礼ですけれど、先生はお一人で暮らしてらっしゃるんでしょうか?」
「…は?」
問われた内容がすぐに理解できなかった。
え、何、今全然関係ないこと聞かれなかった?
「実は夕飯を作りすぎてしまって…。カレーなんですけれど、もしよろしければご一緒していただけないでしょうか?」
「え?あ、……ええ??」
思いも寄らない申し出に、銀八はまともな返答ができない。というか、言われた内容が消化しきれていない。
ご一緒って、どういうことだ?一緒にお茶しませんとかそういうことか?いやそれじゃデートじゃん駄目じゃん!
完全にテンパっていた。
焦る銀八を見て、ミツバは頬に片手を添えて不安げにしている。
「もしかして、カレーはお嫌いですか?」
「え、好きですけど」
とりあえず理解できた問いに答えると、ミツバは満面の笑みを浮かべて手を合わせる。
「よかった!じゃ、早速行きましょうか」
銀八が何かを発する前に、彼女は歩き出した。未だよく状況が飲み込めないまま、銀八をその後をついていくしかなかった。
結局一人暮らしであるかという問いにも、夕飯を一緒にすることに対しての返事もしていないのだが、銀八がそのことに気づいたのは随分後になってからだった。
唯我独尊なのは流石に姉弟だけに似通っているが、この有無を言わせぬ強引さは姉の方が一枚上手のようだった。



すぐ近くですから、というミツバの言葉通り、沖田の自宅へはスーパーから歩いて数分で到着した。これならば学校からも歩いて通える範囲だろう。とはいっても沖田は自転車通学なのだが。
沖田家は住宅街の一角にある、築十数年と思われる一軒家だった。小さな庭付きのさして大きくはない普通の家。姉弟二人で住むには十分すぎる広さだろう。
『沖田』という表札を前にして、銀八はようやく今の状況に思い至り、首を傾げる。
自分は何故ここにいるのだろうか。ここから先に入っていいのだろうか。
足を止めた銀八の背を押したのは、ミツバだった。
玄関を開けて銀八を呼ぶ。
「散らかっていますけれど、どうぞ」
物言いは柔らかくても、強さのあるそれにはどうにも逆らうことができないようだった。
リビングに通されると、椅子を案内される。座って待っていてください、と告げてミツバはキッチンに消えた。リビングキッチンから漏れる香ばしいカレーのにおいが食欲を誘う。
散らかっているというのは社交辞令だったのだろう。室内は綺麗に片付いていて掃除も行き届いている。物自体はあまり多くはないが、住んでいるものの雰囲気が感じられる、温かい家だった。
キッチンから戻ったミツバは冷たい麦茶を持ってきてくれた。
「そーちゃんもすぐに帰ってきますので。もうちょっと待っていてくださいね」
にこやかに微笑む彼女にも大分慣れて、ようやく目が泳がないでいられるようになってきた。
正直、ここに彼女に会ってから今に至る中で銀八の意見が尊重されたことなど一度もなかったように思うのに、それに対して苛立ったりすることがないのは、この邪気のない綺麗な笑顔のせいだろうか。沖田とよく似ているが、違っているのは迷いのなさかもしれない。
あいつもこれくらいの強引さがあったらな…。そんなことを思ってしまうのは、煩わしい事を他人任せにしたがる銀八の悪い癖だった。
「先生は甘いものが好きだと聞いているんですけれど、ケーキもお好きですよね」
「ええ」
それも沖田が話したのだろう。あまり饒舌ではない沖田がどんな風に姉と会話しているのか、興味がわく。
「実は、今日はそーちゃんのお誕生日なんです」
ミツバはとても嬉しそうに弟のことを話す。
「ああ、そうなんですか」
今知りました、と言うように答えたが、初耳ではなかった。今日が沖田の誕生日であることはかなり前から知っていたし、覚えていた。なのにおめでとうも言えなかった。
不甲斐ない自分を思い出して、苦笑いする。
「誕生日ケーキも用意してあるんです。手作りなのでお口に合うかわかりませんけど、そーちゃんと一緒に食べてあげてくだると嬉しいわ」
その言葉を聞いて、アレ?と思う。
もしかしてこの人は…。
思考をめぐらせ始めたところで、ガチャリと玄関の空く音がした。
「そーちゃんだわ」
ミツバがリビングを出て迎えに行く。
すぐに「おかえりなさい」というミツバに続いて、普段より幾分高めの声で「ただいま帰りました」と沖田の声が聞こえた。
それは不思議な声色だった。安心しきったような、甘えたような声。一度だって、そんな声銀八は耳にしたことはない。きっと、沖田が家でしか見せない一面なんだろう。
姉と弟、家族。
その団欒の中にこれから入り込んでしまうことになるのであろう自分の立場を思って急に居心地が悪くなった。自分などがいていい場所ではないのではないか。
かといって今更逃げ出すわけにも行かず、銀八は諦めの息を吐いた。
足音が近づいてくる。リビングのドアは、直ぐに開いた。
その向こうで、目も口もまん丸にして唖然とする沖田に、銀八は引きつった笑いを浮かべるしかできなかった。
「おかえり、ソーチャン」
「………ただい、ま?」




街灯の灯る住宅街を、銀八と沖田は並んで歩いていた。
薄い雲の向こうから微かに月が見えるが、隙間なく空を覆う雲に隠れて星は見えなかった。
沖田が帰宅した後、驚く沖田にミツバが一部始終を説明して、ささやかな誕生パーティーが開かれたのは結構な時間になってからだった。
大きなホールケーキに、やたらと色の濃いカレーライスとサラダとスープ。寒天のデザートまであって、ボリュームの上では非常に満足のいく食事だった。
ボリュームの上では、と限定したのには理由がある。
「先生、口、大丈夫ですかィ…?」
隣を歩く沖田が心配そうに伺う。さっきから銀八がヒーヒー言っているのに気づいていたのだろう。
「うん、なんとか、ね」
明日までには元に戻ると思う。戻るといいな。そんな希望を込めた銀八の返答に、心底申し訳なさそうに沖田が謝る。
「ほんと、すいやせん。おねーちゃんは特別辛党で、でもあのカレーは俺用に作ってくれたやつだからそこまで辛くはないと思ってたんでさァ」
「いや十分辛かったから!あれ何十倍ですかってくらい辛かったから!」
冗談じゃなく、銀八はカレーを食べて火を噴いたのだ。それくらい辛かった。いや、辛い通り越して痛かった。
おかげで、その後に口にしたサラダやスープは元より、せっかくの餡蜜がけ寒天もケーキも、まったく味がわからなかったのだ。
未だに舌がしびれている。
「先生って甘党なだけだと思ってましたけど、実は辛いのも駄目なんですね」
ふむふむと納得している沖田は、あの激辛カレーを食べたにもかかわらずけろりとしている。どんな味覚してるんだ。あのカレーをそこまで辛くないと評してしまうのであれば、ちょっと常識を疑ってしまう。
「俺は辛党じゃねーですけど、ちっちゃい頃から姉上の手料理食べてたんで耐性できてるんですよ」
今じゃ普通のカレーじゃ満足できない体になっちまいやした。
何故か胸を張っている銀八は沖田に言ってやりたかった。それはもうすでに辛党だ、と。お前は辛党によって辛党となるべく育てられた、紛うことなき辛党だ。
そして、そんな沖田の上を行くミツバは銀八の想像を突き抜けていた。
何しろ、あのやたらと色の濃いカレーの上に、さらに香辛料を振りかけて真っ赤にして食べていたのだから。
有り得ない。
銀八は右手に持った紙袋を見やる。ミツバが余ったケーキを土産として持たせてくれたものだ。
もしかしてこのケーキも辛いのではなかろうか。
そう思って銀八は沖田に尋ねてみたのだが、どうやらケーキは普通の甘いケーキらしかった。
だがそれも今の沖田の言葉を聞いてみれば不安になる。色や見た目は美味しそうなケーキだったし、味はわからなかったがスポンジも柔らかくて期待を膨らませるものだったので、もしこれで辛かったら相当ショックを受けるに違いない。
うーうーと唸っていると、一際明るい光が見えてきた。ミツバと出会ったスーパーだ。深夜まで営業しているのだろう、先程よりは人は少ないが、それでも自転車や車はまだ数台停まっていた。

「ここまででいいよ」
送るといって銀八と一緒に出てきた沖田だが、これ以上送ってもらっては今度はこっちが不安になる。街灯があるとはいっても夜は暗くて危険なのだ。
足を止めた銀八に従って、沖田も立ち止まる。
街灯の狭間に位置するこの場所は、薄暗くて人通りもない。
二人がしゃべるのを止めれば、微かに聞こえる虫の音だけが聞こえる静かな空間となった。
少しの沈黙の後、先に口を開いたのは沖田だった。
「まさか先生がうちに来てるとは思いやせんでした」
驚愕しました、と笑う。
「あー…それは俺もびっくりだよ」
「すいやせん。おねーちゃん、ああ見えてなかなか頑固でして。こうと決めたら梃子でも動かねェところがあるから…」
謝りながらも、姉のことを話す沖田はどこか嬉しそうだ。本当に大切に思いあっている姉弟なのだな、というのが今日始めて二人を見た銀八にもよくわかった。
「頑固なところは沖田にそっくりな」
いや、沖田がそっくりなのか。
言い直す銀八に笑いかけて、沖田は続ける。
「先生と誕生日を過ごせるなんて夢みたいでした。おねーちゃんに感謝しなきゃねィ」
ああやっぱり、と銀八は思う。ミツバは知っていたのだろう、沖田の気持ちを。だから、今日銀八を招待した。
弟思いというか、なんというか。
二人の真っ直ぐな思いの前に、銀八は白旗を揚げるしかなかった。
これでは、自分も素直になるしかないではないか。

僅かに届く街灯の明かりが、沖田の顔を照らす。
満面の笑み。
ミツバとよく似た、でも全く違う、沖田の笑顔だった。
銀八を見惚れさせる、唯一の笑顔。
「…沖田」
「何ですか?」
銀八の呼びかけに、沖田は首を傾げて応じる。
「誕生日、おめでと」
ぽすんと、銀八の大きな手が沖田の頭を撫でる。
思った通りのサラサラの髪。初めて触れたそれは、とても気持ちよい。
驚く沖田の顔を見て満足した銀八は、両手を自分より幾分低い沖田の背に回して成長途中のしなやかな体を腕の中に閉じ込めた。
「…せ、せんせ?」
突然抱きしめられた沖田は、驚いて硬直している。無理もない、こうして抱きしめるのはもとより、今まで手すら繋いだことがなかったのだから。
銀八だって、自分の行動に驚いている。でも、後悔はしていなかった。
「もっと欲張れよ。そのくらいじゃ幸せ逃げてったりしねェから」
耳元で囁けば、ビクリと反応する。可愛らしい反応にニヤリとしていると、おずおずと細い腕が銀八の背に回された。
腕に力を込めれば、沖田も同じだけ返してくる。
幸福な瞬間だった。
抱き締め合っていたのは、短い時間。
離れれば、物足りなさが襲ってくる。
「じゃーな」
惚けたままの沖田にもう一度頭をひと撫でして、銀八は足早にそこを後にした。
このままいては、とまらなくなりそうだった。
これから少しずつ、前進していけばいい。
また明日会えるのだから。

今はただ、同じ時を生きられる奇跡に感謝を…。













思い人の背が見えなくなっても、沖田は呆然と立ち尽くしていた。
何が起こったのか、すぐには理解できない。頭がパンクしそうだ。
ふと、ズボンの尻ポケットに違和感を感じて探ってみる。
そこには、家を出る時にはなかったものが入っていた。
手のひらに納まってしまいそうな、小さなもの。
「…いちごみるく?」
明かりに照らされたのは、いちごみるくのキャンディ数個だった。
ご丁寧に半透明の袋でラッピングまでされている。しかもピンク。
「まさかこれ、先生が…?」
銀八がこの飴を好んで食べているのを沖田は知っていた。
ぷっ。
思わず笑いがこみ上げてくる。
嬉しくて嬉しくて、笑いと涙が止まらない。
「…せんせっ」
小さな包みを抱きしめてうずくまる。

「期待すんぞ、このやろう」

もっと欲張っていいと言うのだから。


もう、遠慮はしないよ、先生。



ありがとう。





















沖田くんおめでとうvv
タイトルはD−O−E−Sのアルバム名とぐりーんの曲名から拝借しました。
スペシャルサンクス、桜井兼定様。ありがとうv


(2009年7月8日)